民族、文化によって霊界も違う

天狗小僧寅吉の話やスウェデンボルグの霊界の話、そして幽顕問答鈔の話を総合して考えてみてわかることは、

―――その国、民族、文化、宗教によって、霊界・冥界は細かく区分されており、おのおの、死んだ霊がおもむく霊界は違う。

ということだろう。

つまり、大原則は、「死んで肉体を去った霊魂は、素の心に戻るゆえに、似た者同士の霊が集まって集団を作る」

霊魂には、物質的な「場所」がなく、空間と距離の感覚がないわけだから、会いたくない人と会うことは極力なくなるはずだ。すぐに精神だけが移動するので、きらいな人といっしょにいられるわけがない。

もし一方が好きで、一方がきらいでも、くっつくことはないわけで、好き同士だけが寄り集まる道理である。
もしかしたら、あまりにも好き同士なら、完全に合体して、ひとつの霊魂になってしまうのかもしれない。

だから、生前、キリスト教の熱烈な信者と、イスラム教の熱烈な信者が霊界にて同じ場所で生活している、ということは絶対にないはずである。

この世ですら、無理だろう。

だから同じ習慣を持っている霊は、死んでから、そういう人々が集まって、いわばひとつの国や村を作るはずで、あまりにも違う文化の人たちが互いに交流するということは考えにくい。

もちろん、霊界に入れば、その世界の決まりというものがあるだろうが、その範囲内での集団ができているはずなのだ。

だから西欧文化で生きてきた人と、東洋文化で生きてきた人は、霊界においても違う国の文化圏にいると考えられる。

たとえば、日本的霊界に、アラブ的霊魂がまぎれこんだら、たぶん追い出されるし、入れないだろう。

霊界へ行ってきた人とか、憑依した霊魂なんかが話す霊界が、人によってまったく違うのも、つまりは中国へ行ってきた旅行者と、パキスタンへ行ってきた旅行者の「外国」の話が、全く違うのと、まったく同じ道理なのである。

外国、外人、といっても種類が多いし、アメリカなんかになると、州によってまったく違う文化であるし、法律すら違う。
それと同じである。

だから、日本における神社の制度はフランスにはまったくなくて、通用しないし、お盆もお彼岸もないはず。しかし、逆にフランスの宗教的行事は日本では通用しない。(ただし、最近ではクリスマスとか、ハロウィーンなんかが娯楽として認知されてはいるが、霊界においては何の意味もないはず)

たとえ地獄はなくても、同じ性質の人間が集まるわけだから、悪い人間が集まって群れを作り、お互いに悪事を働いているにちがいなく、そこは当然地獄のような様相を呈しているだろう。

よい人間ばかり集まっているのならば、少々のケンカがあっても、お互いに助け合って生きていることであろうと思われる。

天国とまではいわないが、住みやすいにはちがいない。