自由に生きるには
現代社会は
マネーに支配されている。
勝ち組という立場を求め、負け組という連中をあざ笑う。
巨大なマネーの流れに乗った者どもを讃美し、舟から落ちた人々を馬鹿にする。
この巨大なマネーの流れを作っている日本における集金システムには大別してだいたい3つあると思う。
ひとつは、住宅である。ローンを組ませて、その支払いのために一生働かせてGDPを向上させる奴隷にする。
これは、東京都知事をしていた石原慎太郎がはっきりとそう言っていた。ただし、その時は、もう、このシステムは行き詰っている、といっていたが、さまざまな法律を新設して、このシステムの延命を図っている。
もうひとつは、教育である。
「いい大学」を出る、というそのためだけに家庭の行動が集約されている。だからこそ、私立学校にも税金が投入されているのだ。
学歴、という催眠術に引っかかっているのだ。最悪なのは、あまりおつむのよくない子供を持つ親ほど、出費がかさみ、成果が得られないことだ。ただし、学歴はお金で買えることをわすれてはならない。
ただし、こちらも少子化という問題のため、行き詰っているようだ。
最後が、医療費である。
釈迦のいう、「生病老死」という四苦八苦の四苦そのものに関わっている。つまりは、人間の苦しみの根源に関わるだけに、決して避けて通れない。
医療関係者が法外なほどに裕福なのは、みなさんご承知の通りで、これだけは景気が悪くなっても関係ない。
景気が悪いから病気をやめておこう、とはいかないのだから。
医療保険という制度など、この関係の仕事は、法律的にとても有利に作られている。しかも、なぜかほとんどの不正は見逃されている。
これらの国民から集める巨額のマネーは、庶民からしぼりとったもので、企業の利益から取る税金とは根本的に性質が違う。
庶民の生活がまともにかかっているのだ。
自由を求める人は、これらの出費をできるだけおさえることが求められるだろう。
・ローンを組んで家を買わない。
・無駄な教育費を出さない。
・健康に配慮し、できるだけ医者のお世話にならない。
これらひとつひとつについても考えてみたいが、それはまたの機会に。
「企業の再建王」などと讃美されている人、または讃美されていた人がいるが、そのほとんどが、無駄な支出を極限まで減らした企業家であった。
日産のカルロス・ゴーン氏は、別名「コスト・カッター」といわれていた。
すなわち、企業であれ、生活であれ、収入を増やすことは非常に難しいが、支出を減らすことは、比較的簡単なのだ。
ただ、内部の反対が強いので、部外者を引っぱってくると、それまでの人間的しがらみがないので、うまくいく。
よく大物芸能人とか、スポーツ選手が何億もの資産があったのに、あっというまに破産してしまうのは、収入が減ったのに、支出を減らさないことが原因である。
彼らは、カッコ悪いことができないのであろう。
我ら貧乏人にとっても、事情は同じである。現代日本社会でいちばん儲かる仕事は、まちがいなく、娯楽産業である。
娯楽するために仕事している人が大半であって、食うために働いている人は少数であろう。
とにかく「娯楽費を削ること」。これが自由な生活の第一歩かも。
スマホ、インターネット、テレビ、雑誌、クルマ、おしゃれ、こういったものをすべてやめてみるといい。
心配しなくても、ラジオはタダであるから、ちいさなラジオを1台持っておくだけでいい。電話は固定電話1台でじゅうぶん。留守録機能だけがあればいいのである。
どうしても大事な用事しか連絡がこないから安心である。
このようにして、自由な生活を得る。
時間もじゅうぶんに余る。よく寝られる。おそらく、しばらくがまんすれば、ストレスは通常の4分の1以下になるだろう。
どうしてこんなことが言えるかというと、ぼくが実際にそういう生活をしたことがあるからだ。
ただし、夏の暑さと、冬の寒さはキツイ。もう若くないので、いま、あの生活をすれば死んでしまうだろう。
どーりで、昔の人は早く死んでいたはずである。低体温症でイチコロだ。
自由人であることは、肉体的にも、精神的にも、けっこうキツイ。
特に娯楽がなくて孤独なのに耐えるのはむずかしい。今の若い世代、スマホが当然の生活をしてきた人たちにはつらいだろう。
いわば、カゴに飼われている鳥と、野山を自由に飛び回る鳥との差に近いかもしれない。
自由に生きるには、孤独ときびしい自然に耐えなければならないのだ。