勝ち組、負け組

現代社会はマネーに支配されている。
もっと言えば、紙に書かれた呪文に支配されている。さらに、近い未来には、コンピュータ上に記録された電子データに支配されることになる。

これこそが魔術であり、奴隷支配の魔法である。

では、この社会に生きながら、自由人として生きるには、どうすればよいのだろうか。

まず、今現在「勝ち組」といわれる理想的人物像について考えてみたい。

彼らの理想的パターンは――

まず、裕福な家庭に生まれ、幼いころから高等教育を受ける。算術や語学、科学的思考法を叩き込まれる。
さらに貴族的生活法を教え込み、エリート意識を育て上げる。
遊ぶヒマさえ与えずに、学校、塾へ追いやり、さらに頭脳を磨き、試験で高得点を取り、頭のいい人間に育てる。

一流大学を目指し、合格。よい会社(有名企業)に就職し、給料の高い仕事をして、尊敬され、出世し、社長になる。もしくは、キャリア役人になり、事務次官にまで登り詰める。
または、政治家になって、総理大臣になる。

これが、理想的人生であり、もうすこしランクが下がっても、課長、局長、重役、大臣くらいには到達したい。
こういう人生が、勝ち組を目指す人々の目標であり、目的である。

つまるところ、金と権力と肩書を得ることだ。

では、「負け組」パターンは何であろうか。

貧乏な家に生まれ、家庭環境はよくない。ろくろく教育を受けず、遊ぶにも困り、学校の成績は悪く、もともとアタマが悪いときている。
算術、語学、まったくだめ。スポーツもできない運動音痴。
当然、異性に人気がない。

生活費のこともあり、進学を断念。若くして働き出して、給料の少ない、つらい仕事をすることになる。

体力をすり減らし、アル中になり、生活に苦しむ。何度も警察の厄介になり、困窮のうちに病死し、無縁仏に。

こういう人生が「負け組」なのだろう。ここまで極端でなくても、ふつうの日本国民の多くは、さきほどの「勝ち組」人生ではないことは確かである。

少なくとも、世間ではそうとらえられている。

しかし、はたしてそうなのだろうか。

人生に勝ち負けがあるのだろうか。

そもそも、このようなパターンは誰に教え込まれたのだろうか。
犯人は誰なのだろうか?

ぼくはこう思う。

犯人は、この日本という国で、大きな金の流れを作り出し、それを維持し続けたい人々の活動が作り出したのである。
特定の人間や団体が作り出したのではない。

その人々の活動が、巨大なマネーの流れを変化させ、さらに、その流れがその人々の活動を生み出している。

そうではないだろうか。