行為によってバラモン
最近になってから、スピリチュアルのブログがたくさんあることを知った。研究不足ですみません。
いくつかを読んでみたのだが、みなさん、すごく物知りでおどろいた。
このサイト(ブログ)でも、スピリチュアル的なことを書いているのだが、もっともっと、みなさん、くわしく神秘学についてご存知である。
聖書やカバラ、錬金術などぼくなどの知らないことが散見される。この世の真の支配者について研究している人もいる。
ただ、ちょっと気になることもあった。
あまりにも、研究熱心すぎる、ということだ。
つまり、言い方は悪いかもしれないが、神秘的な、スピリチュアル的な、面白い、興味深い、魔術的なことばかりを追求しすぎていて、かんじんの、自分の生き方がおろそかになっていないか?
宗教にしろ、哲学にしろ、その信仰なり、考え方を、自分の生き方に反映させなければ意味なくないだろうか。
それこそ、絵に描いた餅、となってしまわないだろうか。
岩波文庫版の「ブッダの言葉(スッパニパータ)」の第3、大いなる章、九「ヴァーセッタ」において、お釈迦さまはこのように説いている。
(血統によってバラモン(聖者)なのか、行動によってバラモンなのかと問われて)
ーー人類には他の動植物のような、生まれに基づく区別はない。
ーー姓名というものは、仮につけられたものである。
ーー生まれによってバラモンなのではない。行為によってバラモンなのである。
つまり、行動によって聖者となり、行動によって聖者とはなりえない、と断言している。
また、新約聖書「ヤコブの手紙」には、(第二章)
ーーだれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
ーーこれでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
とある。
このあいだ(令和7年、春頃?だったか)選挙によって、国民の党が躍進したという。
ところが、ここの党首が、週刊誌にスキャンダルを書かれた。
党首の玉木氏が、奥様に隠れて、こっそりとグラビアアイドルとホテルで密会していたという。ホテルでどういう行動をしていたかは誰もが想像できる。
本人はその事実を認めて、謝罪した。奥さんと国民に。
どうだろう。このような人物が、いくら美しい言葉を並べ、心揺さぶる演説をし、公約をしたところで、それが信じられるであろうか。
考えてみてほしい。彼は、結婚して正式な妻である奥さんにうそをつき、だまして、まるで盗賊のようにこっそりと、不貞行為を働いていたのである。
フードを深くかぶり、こそこそと、隠れて。
この人は、はたして、国民の味方になって、身を挺して、国を守り、国民のために尽くす政治をするだろうか。
この人物が国家の最高権力者(首相)になってから、他国のスパイが絶世の美女たちを送り込んだのなら、この男は国民をだまし、こっそりと、密会して、国民のことなど顧みないのではないか。
そして、「ごめんなさい、二度としません」などと謝ってすますのではないか。
それでも、この男に投票する日本人は芯からのバカである。愚か者である。
違うだろうか?
このような人物に投票するような人は、いくらテストでいい点数をとっても、学歴が高くても、お金儲けがうまくても、高貴な血筋の家柄でも、バカである。大バカである。
違うだろうか?
詐欺師を見分けるのは簡単である。行動を見ればよい。言葉や見た目や雰囲気、立ち居振る舞いなどは、絶対に見ない。
スピリチュアリストなどという人々の中にもいる。
神秘や真理、むずかしい哲学や心理学、宗教哲学などいくら並べても、その理論が実践できなければ、机上の空論どころか、それこそ絵に描いた餅である。
難解な哲学など、無用である。
人にやさしくあること。誠実であること。人だけではなく、動物にも、植物にも、やさしくあること。
他人を見下げることなく、両親を敬い、こどもを大切にする。
社会に貢献し、まじめに生きること。
むずかしい理屈を述べるよりも、たったこれだけのことを実践して生きることが、いかにむずかしいことか。
なぜなら、イヤな両親もいるし、腹の立つこどももいる。偉そうな他人もいる。
それでも、そのように生きていくことがいかに大変なことか。
この社会で、できるだけ正しく、まじめに生きることは百の理論よりもむずかしい。
言葉をみるな、行動をみよ。