お金と富の正体
現代社会はお金に支配されている。お金持ちの人たちのことを富裕層という。
つまり、お金 イコール 富 ということだ。
では、お金とは何か、富とは何なのか。
お金は日本では日本銀行が発行している紙幣と、造幣局が製造している貨幣のことをいう。
紙幣と貨幣は同価値と定められている物体で交換できる。百円玉を十個集めれば、千円ということになり、千円札と交換される。
それは、日本銀行券を日本政府が保証しているし、日本国民が信用しているから成り立っている。
お金は政府の国債と交換できる。これも政府保証だから、紙幣、貨幣と同じである。ただ、一部の日本国民は信用していないようだが、実際は同じ信用度である。国債がダメになったら、お金もダメになる。
国債の信用度は日本経済の信用度と同じである。信用は誰かが勝手に決めるものではない。みんなが決めるものである。
銀行預金などの預金、貯金はずっと信用度が落ちるが、こちらはみんな信用している。
では、この「お金」の正体は何か。それは貴金属である。「おかね」と呼ぶゆえんだ。
特に、黄金のことを指す。あとの銀や白銀はただ、黄金との交換価値があるから使われている。
よく、1万円札や千円札を「現金」と呼んでいるが、厳密には黄金だけが「現金」だろう。
黄金はなぜ交換価値として全世界で流通しているのか。古代から現代に至るまで。
その理由は、つまりのところ、「相応の理」による、としか言いようがない。つまり、簡単に言えば、神様が決めたのだ。
永遠に朽ちることがなく、輝き続ける。それ自身は変化することなく、純粋である。
さらに加工しやすく、分けやすい。ただ、重たくて、擦り減る。だから紙幣や硬貨を代理として使っていたのだ。
ダイヤモンドも交換価値があるが、燃えてしまう。人工的に作れてしまう。
他の高価な宝石は割れるし、純粋な鉱物ではなく、個体差が激しすぎる。
やはり、黄金がいちばんだ。次が銀。
日本は銀がたくさんとれたので、銀貨が主流だったようだ。だからいまでもお金を貸し与える商売のことを「銀行」と呼ぶのだと思う。たぶん。
ところが、この黄金は最初にどうやって価値を作ったのだろうか。
黄金の原石を掘り出し、加工することによって使われる労働力が、この純粋な黄金に吸収されたのである。
すなわち、黄金の価値は人間の労働力である。黄金は永遠であり、人間の労働力を吸収して永遠に朽ちない。
お金についてはそれでわかったとしよう。それでは、「富」とはなんだろう。
原初、人類が本当に必要としていた、今も必要としている物質は、食べ物。つまりは穀物である。
米と麦。
これこそ、人類にとって必要不可欠な生きる糧である。黄金など、なんの役にも立たない。
人間が文明を築いたのも、穀物生産ができるようになったからだ。
「七人の侍」という映画を見ていて、日本人が稲作を始め、それを守るための武力を持ち、村を作り、国を作り、武力による国家守護に発展していった過程を知ることができた。
日本人にとっての富は米である。
米は籾と、水と太陽と土に、人間の労働力が合体して、生産される。つまり、太陽と地球資源に、人間の労働力が混ぜ合わされて、富が生産されるわけだ。
簡単に言えば、富は人間が土から作り上げる。
黄金と同じである。
しかし、穀物は消費されて排泄物になって消える。ところが、黄金は消えない。
ここに大きな問題があると、ぼくは思う。
いくらでも、ため込んでおけるのだ。
生産した穀物を黄金に交換したとき、穀物は消費されて消えるが、黄金は永遠に残る。
さらにトリックを使って、黄金の偽物を作って流通させた。紙幣や貨幣である。
そうして、商人たちが大金を集め、権力を得て、世界を支配するようになったのではないかと、ぼくは考える。
そして、世界が農業から工業社会に変化したとき、穀物のほかに、石油とドルとの交換を実現させ、こんどはドルという紙っ切れを代用させて、その支配力を強めたのではないだろうか。
ただ、ここに大きな危険がある。ドルという紙幣は、単なる信用だけによって成り立っている。黄金と交換できない。そんなに大量の黄金は世界にない。
なぜなら、銀行預金と貸出という、これまた
トリックによって、また株式市場という魔術によって、紙幣は実際の何倍、何十倍、何百倍にも膨れ上がっているからだ。
これがなんらかのショックによって信用を失ったとき、世界に流通しているマネーはあっというまにもとの大きさに縮小してしまうかもしれない。
そのときには、黄金と穀物だけが価値を保つことだろう。