自然の摂理と悪の関係
この地球における自然界というのは、実によくできている。
奇跡的、といってもいい。それこそ、神わざでないと、こんな世界は作れないだろうし、勝手に出来上がったとは、とても想像できない。
このすばらしい世界、美しい自然、かわいい生き物、清らかな川、海、太陽。
見ているだけで心が洗われる。
自然界は完璧だ。美の極致といってもいいだろう。
しかし・・・である。
ひとつ、納得できない点がある。
この自然界では、食物連鎖という、いわば法則、真理がある。
この食物連鎖によって、自然界の生物はすべて生命を維持している。
草食動物は草を殺して食べて生命を維持し、肉食動物は草食動物を殺して食べて生命を維持している。
人間に至っては、お金を稼ぐために、他の生物を無理矢理小さな小屋に押し込めて、生殖させ、監禁し、卵を産ませ、それを孵化させずに親から引き離して売り払い、さらにその親の肉を、卵が産めなくなってから殺して引き裂いて、販売する。
そして、それについて、何の罪の意識もない。当然であると思っている。ライオンだってしている。昆虫だって、している。カマキリや小鳥だってしている。
残酷ではないか。
もし、神が、唯一神がこの世界を作ったのなら、神は残酷である。
自分が作った自然界のために、自然の生物を常に苦しめている。自然界維持のために、つねに殺害が行われ、生物に激痛を与え、周囲に脅威を与え、苦しめている。
もし、人間より上位の生物がいたならば、われわれ人間は常にその上位の生き物のエサになってしまう可能性があるうえに、もしかしたら閉じられたオリの中で飼われ、卵を産ませられ、最後には殺されて食べられているかもしれない。
いや、もしかしたら――― われわれ人間が気づいていないだけで、何者かのエサになっている可能性は否定できない。
都会というオリに飼われ、何かを生産し、最後には殺されて、何かを回収されてしまう。
オオカミはシカを食べてしまい、かわいそうだからといって、オオカミを駆除すると、シカが増えすぎて困ってしまった。という話がある。
シカを殺すことは、ここでは自然界維持のために、いいこと=善 であり、シカを殺さないこと、生命を大事にすること=悪 ということになる。
殺害=善 生命を助けること=悪
ここでは人間界の常識が逆転している。
「小鹿物語」という小説を読んでみると、最後にかわいいシカを撃ち殺してハッピーエンド(?)になっている。これは西欧社会の考え方を表現していると思う。
現在、世界人口は爆発的に増加している。このままだと地球全体の自然界維持もできない状況にある。
もし、人間より上位の生命体があるとすれば、まちがいなく、人間を大量に殺害して、自然界のバランス回復を行うだろう。
人類の大量殺害=善 人類の人口増加=悪
これは決定的である。
そこで、ぼくは思う。神が作った(とすれば)この世界は完全な善ではない。
そもそも、人間は必ず死ぬ。人類は全員、苦しむ運命を背負っている。苦しみが悪とするならば。
人間を大量に殺し、人間から大量の何かを回収する。そして地球全体の生命を維持する。
もし人間以上の生物がいるならば、現在の状況を考えると、そうするだろう。
そもそも、神の作ったこの世界は完全ではない。常に苦しみと恐怖がとなり合わせなのだから。
この世界に生きる
個々の生き物は常に苦しみと共存している。
「殺してはならない」
この神の教えは矛盾している。