獅子は百獣の王なのか
食物連鎖、というのを、学校で習った。
まず、そこらの草などの植物から始まり、草を食べる草食動物、草食動物を食べる肉食動物。その肉食動物の中でもっとも闘争の強いライオンが、すべての野獣の中の王様である、ということだった。
そして、他の動物たちは、すべてライオンの支配下にある、ということ。他のすべての動物はライオンの思いのままであり、すべての命令をきかなければならない。
だから、ライオンは百獣の王。
でも、ちょっと考えればわかるけれど、そんなことは全然ない。
ライオンは、草食動物、たとえばシマウマを食して生きているが、もし、ライオンのいる地域にシマウマなどの草食動物がいなくなったら、ライオンは絶滅してしまう。
ライオンには、植物を消化吸収する内臓器官がない。肉食のみ。
いまの人間社会では個人主義的考え方が定着しているので、シマウマは無駄に殺されているようにみえるが、シマウマを個体ではなく、それぞれが集団を作って生活しており、その集団をひとつの個体として考えると、シマウマはライオンに生活の糧を提供しているのであって、いいようにライオンに殺されているのではない。
ライオンのほうもわかっているので、必要最小限しかシマウマを食べない。無駄に食べ過ぎているのは現代人だけである。
ということは、ライオンはシマウマに養ってもらっているので、ライオンはシマウマに支配されている。シマウマが、ライオンのことをきらいになって、その地域から去ってしまったら、その地域のライオンは死滅してしまう。
これは、海でも同じで、プランクトン、小魚、中くらいの魚、大きな魚、と、順を追っていくと結局、海の生物はプランクトンがいないと絶滅するだろう。
すなわち、肉食動物は草食動物に支配されている。そして、草食動物は、植物に支配されている。
百獣の支配者は、ライオンではなくて、草である。
人間社会も同じではないか。
現在、マネーゲームの勝者が、「稼ぐことがエリートの証拠」「バカは能力がないから、低収入」などという論調がはやっているが、それはちょっとちがう。
いつも思うのだが、というか、聞かされるのだが、金持ちといわれる人たちは、ほとんどの人が、「なにもできない」という、共通点がある。
たたき上げの一代で財を成したような例外はともかく、大体の金持ちは、釘一つ、打てないのである。(もっとも、現在はふつうの会社員でも釘が打てないらしいが)だから、非常事態になると、なにもできない。
オロオロするのみ。そして、奥さんにバカにされている。
「ウチの人、なんにもできないんですよ」
と。
災害があった時に窓ガラスを止めることもできないし、便所の水を流すこともできない。ローソクに火をつけることもできないし、ご飯を炊くことももちろんできない。
電気が止まってしまい、電話が使えない。スマホはパンクしてしまっているし、基地局がダメになっている。
暴漢がやってきても防ぐ体力はない。
本当に、何もできない。
そんなことは、いつもお金を払って他人にやってもらっているからだ。
外国のドラマなどで見ることもあるが、西欧の貴族や富豪たちは召し使いがいないと何もできない。
召し使いがいっぱいいて、彼らの給金を払うことに必死である。なぜなら、召し使いがいないと何もできないのだから。
だから、召し使いの言いなりになっている。
北欧の物語で著名な、ムーミンのマンガで見たのだが、ムーミンが有名作家になって、忙しくなると、どこからともなく、召し使いを使えという連中がやってきて、雇うことになった。
それから、ムーミンはその召し使いたちにいいようにこき使われ、収入がなくなると、その召し使いたちはいなくなった。
そして、ムーミンは、自由を取り戻して、よろこぶ、というストーリー。
有名作家、ムーミンは、召し使いたちに支配されていたのだ。
古来、召し使いにいいように使われてきた支配者はいくらでもいる。一説には、ヒトラーは召し使いに支配されていて、本当の独裁者は召し使いだった、という伝説を聞いたことがある。
現在、みんながエリートになりたがって、懸命に受験勉強しているが、全員がエリートになるわけがないし、エリートというものは、みんな召し使いにこき使われているのである。
そもそも、何をもって「エリート」というのか、知らないが、決していいものではない。
芸能界には、有名タレント、著名人、歌手、俳優、アイドル、などとみんながあこがれる「スター」がいて、連日テレビやインターネット、マスコミをにぎわしている。
よく、インターネットはテレビを目のかたきにしているようだが、ネットニュースを見る限りでは、インターネットも週刊誌もほとんどテレビネタである。たまにユーチューバーネタがみられるぐらい。
それらスターたちは、マネージャーに支配され、芸能事務所に支配され、テレビ局に支配され、広告会社に支配されている。
お金をたくさんもらっても、使う時間もない。
よく観察していると、彼らスターは何もできないようにマネージャーによって飼いならされているフシがある。電車の切符も変えないし、昼食の注文もできない。お金の管理も何もできないのだから。
労働者運動というものは、最近は下火になったみたいだが、あれだって、労働者がいるから経営者が成り立っているわけで、なにも経営者が人間として偉大なわけではない。
経営者は、労働者によってなりたっており、支配されているわけだ。
経営者が偉い、収入が多い、労働者はバカだ、収入が少ない、などという論調を世間にばらまくから、世界がおかしくなる。
もしかしたら、そういうことを宣伝している人は、労働者に劣等感を植え付け、安くこき使うのが目的なのかもしれない。
能力があるからたくさんのお金を稼いでいるのではない。多くの場合、お金を集めて、分配する段階で、自分たちに有利なように取り分を多くしているだけなのだ。ゴマカシではないか?
そして、取り分が多い地位を求めているにすぎない。
よく、政治家や役人が、一般市民に、給料が高すぎる、と文句を言われているが、当人たちにとっては、まったく心外であろう。自分の地位にとって当然の報酬をもらっているだけだと思っているだけなのだから。
むしろ、少ないぐらいだと、みんな思っている。
会社員の人ならわかるはず。みんな、自分の給料は少なすぎる、上司や役員は高すぎる、と思っている。
給料が多いから偉い、稼ぎが多いから偉い、地位が高いから偉い、人気があるから偉い、そういう考え方はやめようではないか。
そもそも、一般的に、何をもって「偉い」というのかよくわからない。エリートってなんだ?
偉い=幸福 ではない。これは確かである。