オカルトにハマるべからず

インターネットの技術というものは、うまくできていて、自分がみているページはいつのまにか自分の好みのデザインに向こう(インターネット企業。たとえばグーグルとかアップルとか)が変えてくれている。

恥ずかしながら、これは、最近になってから知った。なんだかリセットが掛かってしまって、YouTobeのトップページが最初と同じ普通のものになってしまったからだ。

そうなると当然、いつもの都市伝説とかオカルト関連の動画は出てこない。
さらに、ほかにも気付いたことがあったが、それはここでは述べない。

怪談とか、陰謀論とか、秘密結社とか、予言とか。こういう趣味に凝り始めると、あまり周囲の普通の世界が見えにくくなってしまうかもしれない。

確かに、陰謀論も、秘密結社もあるのだろう。それはまちがいない。しかし、そればっかり追いかけているのは大いにいけないと思う。

何よりも、大事なことは、正しく生きること、楽しく、幸せに生きることであって、オカルトにハマってしまって、つまらないことを悩むことではない。

オウム真理教がああいう風に脱線してしまったのも、元はと言えば、あの団体そのものが「超能力を開発する」という目的を持った宗教だったからだとぼくは考えている。

超能力とか、神通力とか、たしかにそれはスゴイことだと思うが、それ以上でもそれ以下でもない。
どういう訓練方法があるのか、どういった素質を必要とするのかは知らないが、つまりは、武道家やアスリートと同じではないだろうか。

オリンピックとか見ていると、あの運動能力はいわば、ぼくらから見たら、超能力そのものだろう。
つまり、素質と訓練のたまものであって、それを追求するのは宗教とはちがうんじゃないだろうか。

科学技術を使った医者は、治療される患者がある程度、理論を知っているからただの人だとわかるけれども、もし、そうでなかったら、神として崇められるかもしれない。

実際、理解できない方法で治療する技術者を、わたしたちは神わざと言い、偉大な人だと思い込む。

このことは何度も言ってきたが、再び主張させてもらう。

超能力者と人格者は、同じではないし、似てもいない。

美しい外見と美しい内面は、同じではない。似てもいない。こっちにも、みんなだまされている。

孔子はこう言っている。

巧言令色鮮し仁。
怪力乱神を語らず


このことについては、別の項でも取り上げたが、再び言わせていただく。

オカルトに夢中になって、真実を見失うことなかれ。