続・自分教
自分教では、ぼく自身だけの宗教について書いた。
今回は、あらゆる人の「自分教」について書いてみる。
あらゆる行動、言動が監視され、権力者にとって都合の悪い言論や行動をする人物に、さまざまな方法で圧力をかけ、沈めてしまい、黙らされてしまう現代日本社会において、真実の宗教を広めることは非常に難しい。たぶん、不可能だろう。
権力者は、あくまでも現代の宗教、「科学教」や「お金教」の信者でいてもらいたいからである。
彼らの立場を守るためには、正しい宗教は邪魔でしかない。
こうなると、誰にも知られることのない、本当の真理を追求する宗教は、自分自身でしか完結しないのかもしれない。
実際、たぶん、そういう「真実の宗教」に気づき、信仰している人は、一般に想像できるよりも、かなり多数であろう。しかし、大衆に訴えかけることはない。
みずからに危険が及ぶであろうし、「無知な大衆」に説いても無駄だと考えているからである。
「聖なるものを犬にやるな」「豚に真珠」というわけである。
しかし、真の宗教を探し求めている人々には、この時代、そこに到達することはさほど難しいことではないだろう。
なぜなら、宗教的書物や哲学的書物などの、前時代なら到底手に入らなかった貴重な情報が比較的容易に手に入るようになったから。
ひと昔前なら、入手困難であった資料もインターネットで簡単に手に入る。
あとは本人次第である。
多くの真理を求める人々は、まっとうな、正当な「自分教」に到達していることと思う。
そして、その「自分教」は、「全世界教」であり、「全宇宙教」でもある。