才能は、前世の経験か、先祖の記憶か

古来、子供を産む両親の年齢は20代がいちばん多いだろう。
親の仕事のあとを継ぐのは圧倒的に長男が多いので、両親ともにいちばん若いころの子供であろうと想像できる。
ところが、仕事を本格的に始め、経験を積み、一人前以上の技量を身につけるのは35才ぐらいになってからになるだろう。

では、どのようにして、その仕事の才能が子供に遺伝するのだろうか。ここでは商売の才能を例として考えたい。

その父の仕事を間近で見ていて育ったからというのは、おかしい。
小さい商店ならいざ知らず、大きな仕事をしている社長とともに行動している幼い子供などいないからである。
初陣を、20才そこそこで経験し、父とともに戦場を駆け回る戦国武将などは、例外中の例外である。現代の子供にそんなのはいない。

両親が30代をこえてから、40、50代になってから勉強や研究を重ねた学者の頭脳や、王族貴族や軍人の経験と智謀は、子供にどう伝わるのであろうか。
結婚して、子供が生まれるまでの経験だけが遺伝するのなら、たかが知れているではないか。人生の経験はそれからのほうがずっと多い。
はたして、子供が生まれてからの後の経験は無駄なのだろうか。遺伝しないのだろうか。

ぼくには、どうしてもそう思えないのである。
つまり、子供が生まれてからあとも、両親の経験は遺伝する、と。

もちろん、これも、両親を見て育った、などというのは、なしである。学校に通っているのに、見ているはずないではないか。

ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる氏の短編マンガに「貧乏神」というのがあったと記憶している。

――ある男の父が高齢のために、死が近づいてきた。その男(息子)が父を見舞うと、父の肩の上に貧相なボロボロの服を着た男がおぶさっている。
不思議に思って父にたずねると、「そうか、おまえにも見えるようになったか」と言って、それ以上は何も言わなかった。父の背にはその男がずっと乗っかっており、父は死のまぎわに息子に告げる。
「この背中の男は先祖代々ウチに取り憑いている貧乏神だ。わしもお前のじいさんが死ぬまぎわに見えるようになったのだ」そう言って、父は息を引き取った。
男はびっくりして、その貧乏神を見ていると、貧乏神はおもむろに父の背中から離れ、その男の方に乗っかった。そして、「こんどからお前にとり憑くことになった。よろしく」と言った。
その男は、この貧乏神に一生、取り憑かれることになった。

こんなような話だった。(はず)・・なんだか笑えない話ではないか。くやしいといってもいい。

才能の遺伝、というものは、こういうものではないかと思っている。
すなわち、父の霊から、子供の霊に、まるでパソコンのデータをインターネットで送るように送られている、と。

このマンガのように、死のまぎわではなく、常時送られているのか、時々送られているのか、死ぬ直前に送られるのか、死んで直後に送られるのか、それはわからない。
でも、そうでないと、説明がつかない。

輪廻転生の思想では、死んだ人間は、再び人間に生まれ変わって、そのときは前世の記憶を失ってはいるが、前世の経験や性格、技術などは残っていて、その人生に大きく影響するという。
たとえば音楽的才能とか、芸術的才能は、前世の影響が強いという。

この場合は、親の遺伝ではなく、前世の経験の持ち越しということになる。

はたして、そうなのだろうか。両親から子供への遺伝は、ぼくのいままでの経験や見聞からして、まちがいないと思っている。では、生まれ変わりがあるとしたら、両親の遺伝はない、と言い切れるだろうか。

輪廻転生がある、という人は、才能前世持ち越し説。ない、という人は、才能遺伝説。単純には言い切れないが、そういう意見ということになる。

――前世持ち越しも、両親(先祖)の遺伝も、どちらもある、と、ぼくは思う。
なぜなら、前世はある、生まれ変わりがある、と思っているし、先祖の遺伝も確かにある、と思うからだ。

ここで、両親を先祖と言い替えたのは、遺伝は両親からだけではなく、その両親もまたその両親から遺伝を受け継いでいるから、先祖とかえさせたもらった。

そして、その「前世」と「先祖」を、当の本人には区別することがむずかしいので、ごちゃまぜにしてしまっているのかもしれない。

一部の、もしくは多くの人が、前世と思っているのは、先祖のうちのだれかの記憶がよみがえって、自分だとカン違いしている場合もあるのだと思う。

父や母の経験が遺伝して伝わっているということは、そのまた先の祖父、祖母の経験も両親を通じて遺伝して伝わっているわけで、ずっとずっと先の先祖の経験も、表面上は忘れているけれども、その経験を記憶として思い出して、前世だと思い込んでいる可能性はある。

(霊魂がどこからやってきたかについては、魂はどこからに、説明しているので参照してください)

人間の霊魂、魂は、両親から遺伝子を受け継ぎ、その肉体がある段階まで形成されたとき、他の世界から霊魂がやってきて、その肉体と同化して、新しい人間の生命として誕生する。

その際、その両親の肉体と同化したとき、両親の魂の記憶をも受け継ぐ。つまり、新しい生命は知らずに、両親の記憶や体験をも取り込んでしまうのである。
そして、そのあとも―――

だから、その霊魂にとって、どんな両親のもとに生まれるかは、その人生の大半を決定してしまうのである。
さらに、霊的にも、その両親の家系、先祖の子孫という立場になり、その家系の霊的グループにいやおうなしに参加することになる。

―――と、ぼくは「いまのところ」そう考えている。

自分が輪廻転生した場合のみならず、もし、先祖代々の経験、記憶、性格が自分に持ち越されているとしたならば、その人の人生の努力なり、つらい経験は、まったく無駄にはならず、その人の子孫に受け継がれることになる。

たとえ直系の子孫の息子や娘に直接伝わらなくても、その子の魂に温存され、いつか、子孫の誰かにあらわれて、役に立つ日が来るかもしれないし、その人の悪行や犯罪などもいつか子孫に影響があらわれて、当人のみならず、その子孫の親族までも迷惑をこうむることになるやもしれない。