ストレスという便利な言葉

犯罪者の犯行理由には「ストレス発散のためにやった」とか、「ストレスがたまっていた」などというのが、とにかく多い。

放火や万引き、痴漢、なんでもかんでも「イライラしていたから、ストレス発散のためにやった」という。

まるで自分が悪いことをしたのではなくて、「ストレス」というヤツがやった、みたいな言い分である。

さらに、「職場でのストレスが原因」などと言う。つまり、犯罪は自分が悪いんじゃなくて、ストレスを与えた職場が悪いんであって、犯罪はすべて職場が原因、と言いたいらしい。

「ストレスを発散しよう」などという。つまり、ストレスはとても悪いもので、職場や他の悪いものから与えられ、詰め込まれるものだから、追い出さなければならない。
だから、何か心がスカッとすることをしよう、ストレスは悪いものだから追い出すことは良いことである。

そして、ストレスを追い出すことはよいことであり、放火や、万引き、痴漢は悪いことではなく、よいことで、しかたないことなのだ、と言いたいらしい。

外からの精神的苦痛を与える刺激によって、心身に異常をきたす、というのがストレス学説らしいが、それはPTSDなどといって、強度のものであって、戦地の最前線の兵士などがなるもので、通常の社会生活で与えられる精神的苦痛など大したことないはずだ。
それならば、むかしの奴隷など、どうだったというのだ。耐えていたではないか。

日本では、古来、忍耐、とか、堪忍、は、美徳とされていて、仏教においても「忍辱(にんにく)」といって、修行僧が行うことのひとつとされていた。

ずっと以前のTVドラマ「細うで繁盛記」では、新珠三千代さんが言っていたセリフは
ーー耐えて、耐えて、耐え抜いて、
だったのだが。
ただし、耐え抜いたあとは、「ゼニの花を咲かせます」だった・・・・

ストレスは悪いものではない。よいものである。

人間には適度なストレスが必要である。これはぼくの体験や見聞からいってもまちがいない。確信を持っている。

会社勤めや役所勤務していた人が、定年退職して、大喜びしているのもつかの間、すぐにボケてしまうことが多いのも、ストレスがなくなってしまったからである。

記憶力が急に衰えたり、体力が落ちて歩けなくなってしまうのも、脳や筋肉にストレスを与えなくなるから弱ってしまったのだ。

そもそも、自然界にはストレスのない状態など、存在しない。
じっとしていても、暑さ、寒さ、飢え、渇き、蚊、ハエ、蜂、毛虫、ムカデなど、いつもストレスを与えられている。
ボヤッとしていては、命に関わるのだ。

適度なストレスは必要である。

ストレスは大事なもので、常にあるのが当然である。
よくよく考えてもらいたい。この便利な世の中になる、ほんのちょっと前、60年ほど前には、暑さ、寒さ、飢え、貧乏、外敵の脅威など、当たり前だったのである。

便利な、快適な世の中になって、忘れ去ってしまったのだ。

だからストレスがあるのが当然であって、ストレスが犯罪の原因ではない。犯罪の原因は、その人、人間そのものにある。
ストレスに対処できなかった、その人間が悪いのだ。

確かに、現代社会には、不条理で、悪辣な社会構造があり、それがいままでにないストレスを作っている現実はある。
そういったストレスをまとめて受け持っているような仕事すら、ある。

だからといって、それに対処せず、他のものに当たり散らすなど、幼児のすることに等しいではないか。

常に、適度なストレスをかけて生きることのほうが、当然なのである。ストレスのない状態のほうが異常なのだ。
だから、幼い頃から、人間には、常にストレスを与えて育てるべきなのである。

思うに、みな、逆のことをしているように思える。
幼い頃には、かわいいからといって、甘やかして育て、青年時代になってから急に勉強を押し付け、社会人になってからは、理不尽で無茶な仕事を要求する。

どうせなら、幼い頃にはきびしく育て、青年になってからすこしゆるくしてやり、社会人になってから甘えさせたらどうだろう。

そのほうが本人のためのような気がするが。