時代遅れの男

あらゆる便利な器具に囲まれた生活は確かに「便利」である。

SNSからひとときも離れることのできない少年、少女たちを見よ。
日々、インスタを更新し、ブランド品を買い続ける主婦を見よ。
わけのわからない金融商品をすすめられ、知ったかぶりをしてだまされている医者や弁護士を見よ。
来る日も来る日も目新しい情報をチェックし、話題についてゆかなければならないセールスマンを見よ。

一日中、寝る間もないほどに、頭と神経と眼球を酷使している。
いつも情報を追いかけ、追いかけられている。

金持ちはいつも株価や経済指標をチェックして心をすり減らしている。

つまり、現代日本人のほぼ全員が、無用な情報に振り回され、目を回している。
目が回ってしまって、物事がまったく見えなくなっている。
しかも、かんじんの自分にとって大事な真実の情報はたいていの場合、隠されている。

百年前に、フランス人の牧師が書いた本がベストセラーになった。
タイトルは、

「簡素な生活」

シャルル・ヴァグネルは、この本を書いて、当時の人々の生活に警鐘を鳴らした。
しかるに、百年後の現在はどうだろう。もしヴァグネルが生きていれば、それこそ目を回すだろう。

戦後日本では、「古いものはつまらない」「新しいものはいい」という精神をマスコミによって植え付けられた。

こうなると、めまぐるしく流行が移り変わるようになり、新しいものはすぐに古いものになってゆく。

人々の関心も目まぐるしく変化する。1ヶ月どころか、数日ももたない。
先週起こった事件をもう忘れてしまっている。
忘れてしまっているということは、もともと必要なかったし、現在関心を持っていないのだから、その当座も別に関心を持たなくても平気だったのだ。

自分にとって大事なことを忘れるはずがない。

いや、そんなことはない、と思う人もいるだろうが、それはカン違いである。
マスコミが連日報道し続けるから忘れていないだけであり、大事なことのようにだまされているだけである。

もう、こういった無駄なこと、いらないことは捨てておいて、自分にとって大事なこと、必要なことだけにして、もっとシンプルな生活をしようではないか。

いらぬ情報にあふれた現代こそ、質素な生活をするべきだと思う。
そのなかでこそ、心落ち着いた、安らかで、平和な生活があるのだと思う。

だからといって、まったく現代社会についてゆけない化石のような人間になってしまってはならないだろう。

どうして、こんな複雑な社会になったのかというと、ぼくが思うに、権力者がそのようにこしらえたのだと思う。
世の中をテクノロジーで複雑にして、わかりにくくして、手に負えなくしていって、ついてこれない人間をふるい落として奴隷としてしまい、自分たちの思い通りに操ろうとしているに違いない。

減税、とか、特例、年金、制度自体が複雑すぎる。それにともなう作業は、申請主義ときている。古い人間にはどうしようもない。専門家に頼むお金もない。

だから、銀行ATMも使えない、メールも打てない、では困る。努力して、最低限のテクノロジーには追従しなければならない。そうでなければ、簡素な生活にも支障が出る。

現代の便利な発明品に振り回され、踊らされるのではなく、むしろ熟知して、上手に使い、必要最低限にとどめる。

権力者たちにだまされ続けてはならないのだ。

最新機器の扱いは常に訓練し、練習し習得しなければならない。嫌がっていても仕方がないのである。
これは現代人の宿命である。

それでいて、簡素な生活を心がける。

それこそが、幸福に生きる秘訣なのかもしれない。

時代遅れの、ぼくのような老人には生きにくい時代である。