「復活」の意味
イエス・キリストの弟子の中から、ニセ使徒があらわれ、その人物が初期の段階からイエスの教えをねじまげた。
さらに何回かの宗教会議の末に、本来のイエスの教えとまったく異なった「キリスト教」という、いわば「パリサイ人の教え」が完成した。
これについては、トルストイが著書にてちゃんと書いている。
まず、現在のキリスト教が主張する「復活」についての教義である。
荒唐無稽、とは、このことだろう。
その教義とはーー
キリストを神の子と信じたキリスト教徒は、死後、墓の中でずっと眠り続ける。そして、最後の審判の日、キリストがこの世に降臨して、悪い者ども、キリストを信じない者どもを地獄へ突き落とし、墓の中、土の中で眠っているキリスト信者たちを目覚めさせ、奇跡をもってその信者たちの肉体を再生させ、全員を天国へ連れて行く。
ーーというもの。
かなり前だが、TV版の「ターミネーター」というSFドラマで、ターミネーターの少女が「復活を信じる?」というセリフを言うシーンがあったが、その「復活」のことである。
あの場面にはちょっとびっくりした。なんであそこで??
そういうわけで、キリスト信者、すなわちクリスチャンたちはみな、火葬にされず、土葬にされている。らしい。
しかし、ナザレ人イエスは、そんな荒唐無稽なことはまったく言っていない。どこがどうなって、こんなことになったのかは知らない。まったく、理解に苦しむが、イスラム教でもこういうことになっているらしい。
キリスト教はローマの国教となり、法王が権力者となってから何度も主教会議を開き、そのたびに教義をねじ曲げてきた。
十字架上のキリスト像という、偶像を認めたのが、もっとも驚くべきことであったし、キリストから罪を許す権限をもらっているという説も信じがたい。
何よりも、キリストを信じない者はすべて地獄に落とされる。だからキリスト教以前の人間は全員、地獄に落ちている、という説には驚きというよりも、こんな教義を本気で信じる人がいるのだどうか、理解できない。
それらの論拠となる、聖書をみてみたい。
まず、パウロ書簡は除外する。ぼくは、彼をニセ使徒であると確信しているので。
・マルコ伝福音書 12章18
「復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとに来て質問した
(中略)
(イエスの言葉)彼らは天にいる御使いのようなものである。(中略)あなたがたは非常な思い違いをしている」
つまり、人間として生き返るのではなく、天にいる天使のようになる、としている。
では、天にいる御使い(みつかい)とは何か。おそらく、神の国において、唯一神に仕えている霊のことである。つまり、人が復活すると神の国の住人である天使のようになる、ということと理解できる。
・ペテロの第1の手紙
「(キリストは)ひとたび、罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである」
「こうして、彼は獄に捕らわれている霊どものところへ下って行き、宣べ伝えることをされた」
22
「キリストは天に上がって神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである」
つまり、キリストは処刑され、肉体は死んだが、霊は生きていて、いったん地獄へ下りてゆき、地獄の霊たちに神の教えを述べ伝え、それから天国へ上がって、天使たちとともに、神に仕えている。
ーーということになる。
すなわち、「復活」とは、人間の肉体が死んで、その肉体の霊が目覚めて生き返り、天使のような霊の存在になる。
と意味であるし、そうとしか考えられないだろう。