「悪に勝つ」とは?
イエス・キリストは死ぬ間際に、「神よ、なぜ私を見捨てたのですか」と言ったという。
そりゃ、そうでしょう。イエスだって人の子。そう言いたくもなるでしょう。
しかし、このように表現する人がいる。
ーーイエスは勝利した。
へ? めっちゃひどい目にあって、ついには殺され、殺した人々はなんの罰も受けていない。
それなのに、なんで、勝利した、ことになってんの?
こう考えるのがふつうだと思う。ぼくもそうだった。
ドラマでも、映画でも、アニメでも、漫画でも、最後には正義のヒーローが悪人をやっつけて、世界は平和になり、めでたし、めでたし、が王道のパターンである。
救世主、悪人に殺されて、終わってるじゃん!
だれでもそう思うだろう?
しかし、そうなのだろうか。
正義は負けちゃったのだろうか。
いつの世も、悪は滅びないのだろうか。
彼、イエスは、悪人を懲らしめたのでもなく、悪人を殺したのでもない。
彼は悪人と戦って勝利した、のではなく、「悪」に負けなかった。「悪」に勝利した。
罪を憎んで、人を憎まず、という言葉があったと記憶しているが、そういった意味に近いと思う。
彼、イエスは、いくら無実の罪で責められても、反論しなかった。つまり、論争しなかった。戦わなかった。
悪口を言われても、悪口を返さなかった。
ソクラテスはクリトンに逃亡をすすめられても、それに従わず、国法に従って、毒杯を飲んだ。
国法に逆らって、逃亡する、という罪を作らなかった。
殺されても、殺すことはしなかった。正当防衛であっても、殺人、傷害、偽証という悪を為さなかった。
自らの命を顧みず、まったく、「悪」を為さなかった。
彼らはまったく悪を受け入れなかった。
だから、彼らは悪を受け入れず、悪に勝利したのである。
彼らの行為には、一点の曇りもなく、いささかの悪もない。
なぐりつけられても、なぐり返さない。
悪に対して、悪で報いず、善をもって対抗したのである。
ゆえに、
ーーイエスは勝利した
のである。
善と悪は同時出現しない。悪がやってくると、反対の性質の善は逃げてゆき、善がやってくると悪は消滅する。
ゆえに、善なる人は、決して悪を受け入れないのである。
しかるに、現代における、マンガや映画のヒーローはどうであろうか。
ひとつ、よく考えてみる必要があると思う。
悪代官の屋敷にいる何の罪もない侍たちをバッタバッタと斬り殺す「桃太郎侍」は、けっして善き人ではないのである。
(ちょっと例えが古かったかも)