意識がなくても歩く

1歳か2歳ごろ、二階のベランダから(どこのベランダか覚えていない)あやまって、下の土か芝生の上に落下したことがある。
それに気づいた母は、ああ、もう息子は死んだな、と思ったという。なぜならピクリとも動かず、泣きもしなかったから。

ゆっくりと下へ降りて、ぼくを抱き起こそうとすると火が付いたように泣き出したそうである。
そして母は、「あ、生きていた」と思ったそう。
これは別に不思議でも何でもなく、ただ死にかけただけの話である。

さて、今回の不思議体験は、小学校二年ぐらいだったように思う。
自宅の横の隣家との境にあるブロック塀に、近所の子供たちとともに乗って遊んでいた。
が、突然、何者かに背中をどんと押されて下へ落下した

押したのは後で知ったのだが、近所のアパートに住む姉妹のうちの姉でキョウコちゃんだった。
妹は丸顔の子で、ぼくより2つぐらい下、キョウコちゃんは確かぼくより1つ上だった。
このキョウコちゃんはマントヒヒを白くしたような女の子で、いつも鼻水を垂らしていて、ぼくはあまり好きではなかった。

落下して、目の前に地面のコンクリートの基礎があって、黒い鉄筋が折れ曲がって出ているところを見ていたところまでは覚えているが、その瞬間から以降の記憶がぷっつりと消えている。

ハッと気づくと、自宅の薄暗い部屋の中におり、うすい毛布にくるまっていた。もう夕方か夜だった。
その当時の白黒テレビで「ハリスの旋風(かぜ)」というアニメがやっていて、ちょうどテーマソングの「はりすーのかぜー」という歌が聞こえていたことをよく覚えている。

あとで父母に聞いた話によると、キョウコちゃんに背中を押されて、1メートルぐらい落下したぼくは、コンクリートから出ている鉄筋が左の頬を貫通していたという。
さいわい、歯も骨も無事で、ちょうどいちばん安全なところを突き抜けたのである。

そして、ぼくは泣きもせずに歩いていて、父が車(といってもポンコツのマツダの三輪だったはず)で医者へ連れて行って、ほっぺたを糸で縫ったとき、麻酔抜きでも泣かず、一言もしゃべらなかったという。

背中を押した(はず。証拠はない)キョウコちゃんはちょっとばかり知恵遅れだったので、仕方ないと父は話していた。いまの時代だったら、大変なトラブルになっていたと思う。

不思議なのは、事故の直前(目の前に鉄筋がせまってきた)に意識は消えたのに、勝手に肉体が動いていたことである。泣きもせずに普通に歩いていたと。

その後、さまざまな経験や人の話を聞いたりして、ある仮説を持つに至った。

たぶん、緊急事態になると、いつもの人間の意識の判断がじゃまになるので、霊魂が意識を眠らせて、直接、肉体を操作するのだと思う。
そうすることで、通常意識にじゃまされず、的確に危険を回避できるのだ。

あのキョウコちゃんのことを父はずっと嫌っていたが、ぼくはそうでもなかった。
想像だが、彼女は、ぼくがあまり器量の良くない彼女を避けていたことをわかっていて、ついつい、押してしまったのじゃないかと今でも思っている。

それに、いつも鼻をたらして口をぽかんと開けてぼーっとしているキョウコちゃんには、こどもながらに罪はない、と思っていた。

妹は普通だった。