封神演義の哪吒太子
日本にある神社の数は、コンビニより多い、と聞いたことがある。
そのうち、その神社に常時、神霊がいる場所はさほど多くないと思われる。
おそらく神官がいつもいる神社には、神さまもいるだろうと思う。
なぜかというと、10月(神無月)には全国の神さまがいっせいに出雲に集まってしまって、いなくなる。
その時には、代わりの神霊がいて、留守番をする、というのだ。
そして、願い事とか、その他の仕事を留守番が聞いておいて、帰ってから仕事に取り掛かる、ということらしい。
つまり、常駐しているわけである。
信じがたい話だが、どうもこれが本当らしいのである。
神が常駐している神社には、神官、巫女も留守番の神も必要なのであろうと思う。
会社とか役所でも、誰もいないと、誰も聞いてくれないので、頼みごとをしても、何の効果もない。だからそういうところへは、しまいには誰も行かなくなる。
そうして、その神社仏閣は廃れてしまうのだろう。
係りの者がいつもいる、ということは、そこには親方がいるわけで、そこには神さまがいるのだろう。
だから、祟りがある神社は、いつもいるわけで、願い事が叶う率は高い。
封神演義(ほうしんえんぎ)という本を読んだことがある。原作を翻訳したものだった。
いつだったか、同名のコミックマンガを見つけて少しみてみたが、あまりにもイメージが違いすぎて面食らった。
太公望(たいこうぼう)が若すぎる。
そのオリジナル(?)封神演義に哪吒太子(なたたいし)という登場人物(少年)がいて、これは竜の子供をいじめて、えらい目にあうのだが、ついには自分の命を絶ってしまう。
その後、彼は再生するために、祠(小さな神社のようなもの)を作ってもらい、そこで人々の願いをかなえる仕事をすることになった。その仕事をひととおりこなしたら、晴れてまた生まれることができる、という設定だ。
結局、その計画はうまくいかず、違った姿で再生することになるのだが、この一連の流れをみてみると、神社の神さまの仕事がなんなのか、わかってくる。
日本の神々の仕事は、日本人の生活、生命を守り、さらに人々の願いをかなえることが仕事なのである。
そして、すべて神さまは元々人間だったのだ。冥界と顕界を守護する役目を持つ。
無償奉仕であるが、人間からの心付けはいただく。食事や住処、ちょっとした娯楽(舞や謡い)も喜んで受ける。
そうして「エネルギー補給」しているらしい。お祭り、というのは、人間が遊んで喜ぶためのものではなく、神々に栄養と楽しみを与えるものだのだ。
神々の好きなものは、清浄、笑いや幸福、喜びであるという。汚濁、憎しみや悲しみ、呪いを嫌うという。
清らかなものを好み、汚いものを嫌う。血を嫌うゆえに、殺生や死体、病人、女性の生理中も嫌う。そこのところをよく気をつけないといけない。
それゆえに、境内を清掃する道具である竹ぼうきは、もっとも大事な道具ということになる。
もし、人々が神々の存在を無視し、まつりごとをないがしろにし、社殿を大事にしないのなら、神さまももう、仕事をしてくれなくなるのではないか?
哪吒太子だって、社を壊されて、その仕事ができなくなって、再生できなくなった。
その日本の神々の仕事に何か目的があるのかどうかはわからない。たぶん、人間として再生するのが目的ではないだろう。
いずれにせよ、神々も仏も、この世に生きる人間のために尽くすことが仕事であるから、我々人間も神々や仏にできるかぎりのお世話をするのは当然である。
ギブアンドテイク、というわけだ。
現代社会では、お祭りを単なる金儲けのイベントと思い込んでいるフシがある。
だから、神さまのいない勝手な「祭り」を企画してみたり、神さまのお祭りを勝手に変更してみたりしている。
これでは、神さまが怒ってたたられるはずである。