冥界と顕界は表裏一体
日本人には信仰心がない。
とか言われて久しいが、そんなことはない。しかし、戦後日本は確かにそれ以前とは違うし、明治維新前とではまた違っただろうと思う。
宗教的行事をしなくなった。
その第一の原因は、とにかく、金がかかる。庶民に余裕の金がなくなった。見栄を張るので精一杯である。
ぼくが住む地域では、以前は、神社やお寺では、氏子総代とか、檀家、なんかで、かなり裕福な支持者がいて、年に何百万円もの支援をしていたものだった。
○○護持会、なんて組織を作っていて。
ところが、そういう金持ちがあまりいなくなった。なぜかというと、地元の産業が儲からなくなったからだ。
最近の企業家、金持ちは、ほぼ、信仰心がないようにみえる。
インターネットにおける、彼らの言説をみればじゅうぶんわかる。
カネ、カネ、カネ、である。それはまあ、以前からだが、宗教心が消えた。
IT社長が寄付して寺社再建をしたというのを、ぼくはあまり聞いたことがない。あることはあるのだろうが。
別にそれがいけない、というのではない。日本の企業人全般に、そういう神仏を信仰する風土がなくなってきたことをいいたいのだ。
企業家というのは、いつも商売に不安を持っているので、たいてい何かの神仏を信仰しているものだが、このところの人たちは、古くからの神仏ではなくて、なにやら新しめの「スピリチュアル」の方向へいっているように思える。
占い、みたいなもんでしょうか?
これは、ちょっといけない傾向だと思える。いろいろと古い文献などを調べたりすると、どうやら、古来からある宗教行事は、日本人の生活において、とても重要な役割を持っていることがわかるので。
冥界と顕界は、表裏一体である。
我々この世に生きている日本人は、つねに地域にある神々や仏たちに守られている。
それは通常は気づかないが、守ってくれている。
いったい何から守ってくれているかというと、つねに人間に害をなそうと狙っている魔物から守ってくれている。
魔物というのには、いろいろいるようだが、通常、現世の人間にはわからない。見えないし、聞こえない。どこにいるかわからない。
その魔物は常に人間のすきをうかがっているのだが、当の人間にはわからない。
そこで、同じ冥界にいて、魔物の動向がわかる神さまや仏さまに、護衛をしてもらうわけだ。
人知れず守ってくれているわけだが、だれもかれも守ってくれるわけがなく、やはり、自分の子孫とか、自分の存在を知っていて、感謝してくれて、お供え物をくれたり、大事にしてくれる人間を優先的に守ってくれる。
逆に、神仏を粗末にしたり、かつて地域の人間との約束を反故にしたりすると、守ってくれるどころか、怒って懲らしめたりする。
神さま、仏さまも、どうやら飲み食いするらしく、天狗小僧寅吉や泉熊太郎の話によると、お供え物のコピー(!)が、あの世にはあらわれて、それを飲食するらしいのだ。
だから、神仏に出す食事には、肉類とか、においのキツイものは出さないことになっている。神々は殺生とか血とか、穢れを嫌う。
このごろはお正月に焼き肉を食べる家があるらしいが、本来、正月は歳神(としがみ)様が来るので、なまぐさものは出さなかったし、食べなかった。
先祖霊が帰ってくる、お盆の間も、殺生や肉食はしなかった。
神仏はなまぐさが嫌いなのだ。
その土地の人々を守ってくれて、願いをかなえてくれる氏神様も、人間の都合で祭日を変更したりすると、怒って、祭りにケガ人が出たりする。
約束を破るからである。
神仏には、神域をきれいに掃除したり、建物を大事にしたり、お供え物をしたり、舞や踊りを奉納したりして、あの世での生活を快適にしてあげることが必要である。
そうしてこそ、地域の人を守ってくれたり、願い事をかなえたりしてくれるのだ。
ギブアンドテイク、である。
また、いくら神さま仏さまを大事にしても、常日頃から悪い行いをしている人間には、当然、よくしてくれるわけはなく、おそらく神さまに賄賂は効かない。
そうやって無病息災を願うのである。