神々の怒り

「あの人は神さまのような人で、あれほどひどいことをした人を、怒ることなく、許してあげた。ほんとうに神さまのような人だ」
なんて言う人がいる。

それを言うなら、「仏さまのような人」じゃないかな。まてよ、仏の顔も三度まで、だったか。

神さまは、許してくれない。激しく怒る。
じゅうぶんに気をつけたい。

神さまをないがしろにしておいて、「神さまはこんなことでは怒らないだろう。なぜなら神さまはいい人で、われわれのまちがいを許して下さる」と考えているとひどい目にあうだろう。

日本の神さまは、怒らせると簡単には許してくれない。なぜかというと、神々はすべて、もともと人間だったからだ。やさしい神さまもいれば、短気な神様もいる。

平均して、神さまは短気なのだ。怒りっぽい。
ふつうの温厚な人間ならなんとか許してくれそうなことでも、許してはくれない。
ひどいときには、腹を立てて怒らせた人間を殺してしまうこともある。

なぜかというと、神々は肉体のない霊魂そのものなので、性質がそのまま出る。だから気分の起伏が激しく、笑うときにはよく笑い、悲しいときはひどく悲しみ、怒るときには激怒するからだ。

だから、いろんな神さまを信仰して、いろんな神さまに願い事をすると怒られることもある。

「なんじゃい、おまえ、おれに頼んでおいて、あいつにも頼んでいたんか。馬鹿にするな!」
ということで、バチを当てられる。
親分はひとりにしておくべきである。それがいやなら、はじめからどんな神さまも信仰しないほうがいい。

きのうまで「あなたが好きよ」なんていっていた彼女(彼氏)が、きょう見かけると、まったく違う、しかも知り合いの男(女)に、「あなただけが好きよ」なんて言っているのを知ったらどうだろうか。

そりゃ、怒るでしょ。

天狗小僧寅吉の談話や幽顕問答鈔の熊太郎の談話を総合すると、どうもそうらしいのだ。
だから、菅原道真公が雷を落としてバチを当てたのは本当ということになる。

ぼくの知人で、ある神社に「ついでだからお参りしよう」といって、参拝しようとしたら、転んで足を骨折した人がいたが、何か理由があって、ケガをしたのだと思う。

もし、よくバチを当てる神さまがいる神社ならば、願い事も必ずかなえてくれるだろう。ただし、自分勝手な願い事はダメだ。
これはぼくの実体験からもまちがいがないと思う。

さくら花 賀茂の河風 うらむなよ 散るをばえこそ とどめざりけれ

日本人ならだれもが知っている「平家物語」。
現代語訳にしたものや、子供向けに書いたもの、テレビドラマなんかではすべて省略されている場面が原典にはある。
――賀茂社(上賀茂神社)で、すでに願いはかなえられないとのお告げを受けているにもかかわらず、大木の根元で仏式の祈祷を行って、賀茂の神さまの怒りを受け、その大木に雷が落ちて、大騒動になった話が出ているが、そういうこともあったのだろうなと思う。

霊験あらたかな神さまはよく怒る。