新しくするから古くなる

昭和の中頃、戦後まもなくは、なんでも新しくということで、宣伝では、かならず「新発売」と連呼されていた。

「ニュー」なんとか、というネーミングが流行していて、いまでは古臭い(失礼)バーやスナックの名前にその名残がみられる。

ホテルでも、「ニュー○○○」なんていう名前はその頃できた建物だ。

そのうち、「ニュー」は古臭いということで、「ネオ」という言葉に置き換えられた。またまた、最近では「新」ならぬ「シン」というケッタイなネーミングになった。

いずれも、新しい、という意味だ。

新しい、ということが、そんなにいいことなのだろうか。

いまではテレビの宣伝で、「新発売」なんて聞かなくなった。「新発売」という宣伝文句が古くなったのだ。

昭和レトロブームということで、古いものを求める若い人があらわれているが、こういう懐古ブームはそれこそ、昔からある。たとえば、大正ロマン、とか。

いろんな商品が宣伝され、新しもの好きの今の日本人に売り込もうと必死であるが、あまりにも宣伝しすぎて、新しい商品を作り出すのに困りだしたようだ。

それで、いまでは新しいものより、目立つもの、珍奇なもの、印象的なものを作り出すようになったようだ。
ネーミングでもやたらインパクトの強いものばかりになった。

世界の終わり、だとか、緑黄色社会、とか、もう、わけわかんないバンド名もある。

かなり前の話になるが、ぼくの姉が昔に購入していた歴史の雑誌が出てきたので、それを何げなくパラパラとめくって見ていた。
ああ、昔はこんなデザインの商品だったんだな、なつかしいな、もういまとなっては古くさいデザインだなと思いながら見ていた。

が、アッと、おどろいた。

斬新なデザインで、まったく古くさくなっていない商品があったからだ。
それは、高級ブランデーの宣伝で「レミーマルタン」というコニャックのビンの写真だった。

ぼくは考えた。どうして、このブランデーはこの雑誌の中でいまも古くさくないのだろうか?

で、わかった気がした。

レミーマルタンのデザインは、いまもまったく同じなのだ。
ほかの商品は現在では何度もデザインをリニューアルしているので、まったくとはいわないが、ほとんど変わってしまっている。

つまり、デザインを新しくしたので、以前の商品が古くなってしまったのだ。

みなさん、大きなカン違いをしておられる。つまり、「古くなってきたから新しくする」ではなく、

―――新しくするから、古くなる。

のだ。これは真理といっていいだろう。あらゆる場面で、これはあてはまる。

―――新しくしなければ、古くならない。

たとえば、自動車では、トヨタのセンチュリーという高級車がそうだった。
「だった」と過去形にしたのは、最近、デザインを少し変えたからだ。ぼくは、なぜあんなアホなことをしたのだろうかと思った。以前のままでよかったのだ。

新しくしたので、ブランドイメージがちょっとばかり崩れてしまったのだ。
センチュリーはデザインがずっと変わらなかったから、ずっと高級車だったのだ。変えたから安っぽくなったのだ。以前のデザインが古くなったのだ。

日産のプレジデントという、センチュリーのライバル高級車があったが、デザインを一新したので、ほとんど滅亡してしまった。大事なブランドそのものを破壊してしまったのだ。

高級ブランドは新しくしてはならない。経営方針にしても、へたに変えないほうがいい。

京都のある老舗茶屋が、それまでは「いちげんさん、おことわり」だった方針を変えてしまったので、大事な顧客が離れてしまったと聞いたことがある。

現在、仏教寺院の衰退が叫ばれているが、妙な新しさを追求している若い住職がおられる。
それはそれで、努力しておられるのだろうが、お寺は、新しいデザインなんかにしないほうがいいと思う。

宗教の理念とかそういうものは、変化してもいいかもしれないが、寺院そのもののスタイルは絶対に変えるべきではないと、ぼくは思う。