資本の奴隷

古い文献をみると、「自由人」とは「奴隷(どれい)」の反対語であったようだ。

奴隷、とは、自由を認められず、他人の命令で労働を強制され、金銭により、売買の対象となった人間のことで、古代ギリシャ、ローマ、近代では農奴解放までのアメリカ、とされている。

以前、カールマルクスの「資本論」という、やたら読みにくい本を、長期間かけて読んだのだが、そこには次のようなことが書かれていた。

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農業中心の社会(封建制)から、工業中心の社会(資本主義)へ変化する過程において、労働力を一生の間、農地で生活させて農産物生産に従事させていた奴隷たちを、工場で商品生産作業に従事させなければならなくなった。
そこで、フランス革命、南北戦争(市民戦争)が起こり、農地にいた奴隷はその農地から追い出され、工業地帯の賃貸住宅に住まわされるようになった。

そしてその労働力は、工場での労働時間によって切り売りされるようになり、人々は土地に支配される替わりに、マネーに支配されるようになった。このマネーのことを資本という。
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つまり、現代の奴隷はお金によって、支配されているのである。

見よ、宝くじを買う人々を。彼らは口々に「宝くじが当たったら、仕事をやめる」と言っているではないか。「老後の生活費にする」と言っているではないか。
人々がお金によって支配され、労働させられている何よりの証拠である。

実を言うと、ぼくもその「宝くじを買う人々」のうちのひとりである。その理由はもちろん、自由を求めて、である。
仕事をしない、といっているのではない。仕事をしていても、カネが足らんのだ。

これを「資本家のパワーを増強する」というらしい。ようするに、労働者がお金に飢えている状態である。
これからもずっと宝くじは売れ続けることであろう。