ボーダーラインの生き方

今の日本社会において、もっとも自由な生き方とは何か。

山奥にひとり座禅を組むことでもなく(そんなことをしている人がいるのか知らないが)、また、ウソと金にまみれた権力を手に入れ、思いのままの命令を下すでもなく、しかし、あらゆる人が追い求める「自由」な生き方とは?

王様でもなく、乞食でもない、自由な生き方とは?

それは、「ボーダーラインの生き方」である。――これは、ぼくの父から直接、何度か聞いた話である。

ボーダーラインとは、父によると、テストでいうと、100点満点で、60~70点ぐらいを行ったり来たりする成績を維持することである、という。

父の友人で、A君(名前は失念してしまった)という、非常に頭脳明晰な男がいた。
また、彼の次にかしこい男がいて、父は自称3番目だったという。

ちなみに、わが吉井家(仮名)は、百姓だが、先祖代々、利口な家系で、村でずっと寺子屋の先生をしていたという。

祖父も、曾祖父もアタマは良かったらしい。

父も叔父もその当時、大学に行ったのだから、大したものだったという。今では大学出はいくらでもいるが、当時(戦前戦後)は、田舎では珍しかったし、内緒で大学受験して合格し、新聞に掲載されてバレてしまい、父は勘当になった。

そのころは、百姓を継がずに大学へ行くなど、親不孝だということで、許されなかったのだ。いまでは考えられないことである。

それほど、頭のいい家系なのに、なぜかその子孫のぼくだけは違った。

なぜか、ぼくだけがバカなのである。アホなのである。
通知表を持って帰った日は、父がぼくの頭を通知表と学校の教科書を重ねた束で、ぼくの頭をしたたかに叩きつけ、こう言ったものだ。

「おまえは、吉井家始まって以来のボンクラ」
だと。

通知表を持って帰るたびに言われたので、この言葉はしっかり耳に残っている。

父に言わせると、自分も、その父も兄弟も、教科書を一度読んだだけで記憶できて、そらで暗唱できたというのだ。

はたして、そんな人類がいるのだろうか? ぼくはいまでも信じていない。たまに、同じようなことをテレビなどで言っている人がいるが、絶対にウソだと思う。

河童や海坊主の存在を信じられても、そんな人間がいるとは信じられないし、うそを言うことはよくないと思う。

教科書とは、何度読んでも忘れてしまうものなのである。

思うに、ぼくの母は、ぼぅっとした人だったので、そちらの遺伝が強かったのだろう。つまり、ぼくがボンクラなのは、ぼくの責任ではなく、母の責任なのだ。
それなのに、なぜに、ぼくの頭ばかり叩いたのだろうか? 母の頭も叩くべきだった。

それはさておき、その、A君のことを続けよう。

A君は、常時100点満点をとれる頭脳をしているのだが、わざと70点前後をふらふらしている。なぜ父が知っているかというと、当人から聞いたからである。

そして2番目の友人は全力を出しても90点を超えるぐらいが限界だったという。
しかし、その彼もA君が自分より実力が上であることは十分わかっている。

Aくんによると、常時70点前後をごく自然に維持することは、100点を取り続けるのと同じくらいむずかしいのである、と。しかもバレてはいけない。

そして、そのA君は、会社に就職するのだが、そこで彼は、

「首の皮一枚残すほどのギリギリの成績」を維持するのである。

彼いわく、「仕事で活躍しすぎると、重要なポストにつけられたり、面倒な仕事を押し付けられたりする。ひどいときには海外出張などさせられる。それよりも、そこそこの給料をもらって、ぶらぶらしていたほうがいいし、会社のために苦労するなどバカらしい」ということらしい。

つまり、あまりに使えなくてクビになる、というラインのギリギリ上の線を維持するわけである。
その会社にとっては、なんとも面倒な社員だが、それがいちばん、自由気まま、というわけだ。

この「首の皮一枚残す」という表現は、ぼくが父から直接聞いた。おもしろい言い回しだからよくおぼえている。

なんだろね、コレ。

とにかく、この「首の皮一枚残すほどの仕事ぶり」というのがとてもむずかしいらしい。名俳優並みの演技力が必要である。

ここに、本当にかしこい人の人生が、自由な人生があるのではないだろうか。

よくよくテレビを見ていると、そういう人がまれにいるようの思う。
作家の石田衣良さんとか、マンガ家の水木しげる、楳図かずおさんなんかがそうだと思う。

アホなふりをしている。

逆にアホなのにかしこいふりをしている人は大勢いるんじゃないでしょうか?

ぼくにとっては、あほであろうが、利口であろうが、どうでもいいんですが。

よく考えてみると、ぼくの身の回りにもそういう人が3人存在していた。バカのふりをしている人が。
ひとりを除いて、もう故人となられたが、いつもボロボロの服を着ていて、(趣味の)野良仕事をしていた。一見すると、ただの田舎のジジイである。

共通しているのは、なんだかあまり働いていないのに、おそろしく大金(土地を含む)を持っていた。
そのひとりなんて、毎月税務署が家に来ていたんですから。

ざっと日本社会を見渡すと、出世競争、ゴマすり、足の引っ張り合い、だまし討ち、卑劣な密告など、そんなことばかりして会社や役所、団体の仕事をこなしている。

そして、それには大変な努力と根性を必要としている。おそろしく手間と時間がかかる。
しかも、油断すれば、足をすくわれる。

まったく、バカらしい、と思うのも無理はない。

とすれば、いきおい、A君のように「アホなふり」をするのがいちばんトクなことである、という結論に達するであろう。

かかわるだけ、バカらしい、ということだ。

おそらく、「市井の真人」も、同じように、いや、もっと貧乏な生活をしているのだろうと思う。

この「ボーダーラインの生き方」こそが、現代日本における、もっとも自由で幸福な生き方なのかもしれない。