因果の法則、怨霊

41歳の冬、のことだった。印象的なことだったので、よく記憶している。
いま(令和7年)からもう20年以上もまえのことだった。

とはいっても、ぼく自身の体験ではなく、ある年配の女性から聞かされた話である。それが印象深くて覚えている。

怨霊、というものはあるのだろうか?

そのAさんという80歳を超えた女性は、20年ほど前に夫に先立たれ、その当時一人暮らししていた。

そのAさんの話を長々と聞かされるはめになってしまった。一人暮らしでさびしかったのだろう。

まずは、その家のとなりの家についての話題である。かなり昔の記憶なので、あいまいなところがあるかもしれないが、大筋では間違いはない。

そのとなりのBさんの家は、嫁と母(姑)の仲が悪かった。よくある話である。父と息子は仕事で忙しくて、あまりかまってやれなかった。当時、その家の商売はうまくいっていて、けっこう有名だった。昭和40年代だったと思う。

ある日、Aさんの門の前にあるBさんの作業場で、Bさんの嫁が、母つまり姑の布団をゴミと一緒に派手に燃やしていたという。母は、所用で留守だったようだ。

Aさんはそれを見ていてこわくなったという。

母が帰ってきて、もちろん、激怒した。怒りまくって、
「死んでやる!」と叫んで、家を飛び出していった。

しばらくして、着物のたもとにいっぱい石を詰め込んだ状態の姑さんが近くの大きな川で溺死体で見つかった。

それからである。その家の家族が次々と変死していったのは。
こうやって、この話を書いているぼくは、自分も祟られないかとヒヤヒヤしている。

ひとりはごく近所の小川のたもとから落下し、コンクリートで頭を砕かれて亡くなられた。
そこの主人は交通事故で正面衝突して即死した。

それだけではない。なぜかその家の近所の家の人々までが変死してゆくのである。
まさに、見境がないのだ。その変死した人の中には、ぼくの父の知人もいた。

ただ、なぜか、そのBさんの家は絶えずにいまも続いている。いまはお孫さんの代である。

これは怨霊の祟りだろうか? 偶然だろうか?

続けて、Aさんは、自分の家族の過去について語りだした。
この家の、戦前、戦後にわたる話である。これもぼくの記憶が細部ではあいまいになっているが、大筋ではまちがいはない。

親孝行した兄と、弟がいて、わが身を顧みずに両親に献身的に尽くしたという。申し訳ないことに、細部については忘れてしまったが、確か、病気かケガで困っている両親の世話をしていたのだと思う。

妹がいて、この子は、不義理をして出て行ってしまった。両親を捨てて、自分だけの幸福を選んだのだ。なにか金銭的な得な立場を優先したのだった。

ところが、あとからあとから不運が続き、その人の子供までひどい苦労を背負い込むことになり、その妹が亡くなった後も、その家は苦労続きで、Aさんが久しぶりに会ったときには、その子は苦労のためか顔がくしゃくしゃになっていて不憫だったという。

親孝行した兄と弟の家族は、大きな幸運にあうこともなかったが、不幸なことにはまったくあわず、そこそこの生活を維持することができていたという。

そういった話をしたあとで、Aさんは、「ほんま、人生ってどうなるかわからんもんやねえ」と言った。

Aさんは気づいていなかったが、ぼくは、これは因果の法則ではないかと考えた。

どうしてAさんが因果の法則に気づかず、「どうなるかわからない」と言ったかというと、因果がその当人を通り越して、子孫に現れるからである。
そして、まったく無関係のことがらによって、事件が引き起こされるので、因果関係に気づかないのだ。

これは、ぼくのいままでの見聞と経験からも言えるが、原因ができて、結果が出るのに、時間的な制約や、事件の因果関係がまったくないのである。

だから気づかない。

たとえば、東京で野良犬を蹴飛ばして、大阪まで来てから、カラスに糞を落とされることだってありうる。
どう考えたって、因果関係がないように思えるだろう。というか、無関係と考えるのが当然だ。

しかし、どうやら違うようだ。因果は巡る。まったくちがうところで、ちがう人にあらわれる。

ただし、それは、その原因を作った人の子孫にあらわれる。困ったことに、当人たちがとっくに忘れていたり、あまりに昔なので全然知らなかったりする。

ぼくはそういう家庭を多く、長年見ているので、ぼくにはわかってしまうことがある。

そこで、考えてしまう。
ある不幸が起こったのは、怨霊が起こしたのか、因果応報で起こったのか。

それがわからない。が、おそろしいことだ。

ただ、世に「呪われた家系」というものが、確かにあるように思う。こういった家については、実例を出すとさしさわりがあるし、ぼくのカン違いかもしれない。
しかし、どうしてもそうとしか思えないのだ。

その先祖が何をしたのか、どうしてそういう結果が続くのか、それはあまりに遠い先祖のことなので、いまとなってはわからない。知っていても隠しているのかもしれない。