般若心経はむずかしい
中学1年か2年のころ、夏休みにゴロリと寝転がって、ずっと本を読んでいた。かの「西遊記」の原典翻訳本である。
(上下巻。奇書シリーズ Ⅳ/太田辰夫,鳥居久靖/1979/平凡社)
もともと小学校のころには仏像の名前を記憶していたような子供だったので、すっかり夢中になった。
特に、挿絵が良かった。
その中に、木の上にいた仙人に、玄奘三蔵が短いお経を教えてもらう場面がある。それは魔物を追い払うのに有効な呪文であるということで、ぼくはさっそくその「般若心経」を暗記した。ちゃんとふりがなが打ってあったのだ。
ぼくは生来頭が悪く、記憶力が乏しいので、かなり時間はかかったが、その当時はすらすらと言えるほどだった。
でも、「色即是空」なんて、「色」という語句から、勝手にいやらしい想像をしていた。中学生男子だったんですから。
日本で最も親しまれ、最も愛され、最も解説されている経文がこの般若心経であろう。
確かに法華経も重要視されているが、やはり短くて覚えやすいこの般若心経がポピュラーであると思う。
よく寺院などへ行くと、写経コーナーがあって、たいていこの般若心経である。短いからすぐ終わる。
また、音韻の響きがなにやら神秘的に聞こえる。これもいい。不思議感がある。
なによりも、なんだかとてもむずかしく、悟りを開いた人でないと理解できそうもない雰囲気がある。
つまり、わかのわからない西洋の哲学のようにえらく難解なムードがただよっている。
とても賢い人でないと理解できないように思えるし、実際、ぼくにはよくわからない。常人には理解不能である。
だからこそ、人気なのだろう。
思うのだが、英語圏(米国)の人々の言語はだんだん単純化しているように思える。シンプルに、よりシンプルにと変化してきているように思える。
SNSではOMGとか、PPAPとかなんとか、略語を使うらしいし、このところはYOUですら「U」と書くらしい。
You are が U R になっちゃう、と。
ところが、日本語はよりむずかしく、より難解に、となってきている。もう、わけわからんほどに。
最近知った言葉では、「リスキー」とか「エビダンス」とか。
エビがダンスしているのかと思った。みんなそうだろう。このあいだ「プレゼン」という言葉をやっと覚えたところなのに。
プレゼンというから、何かをくれるのかと思ったら、逆に欲しくもないものを売りつけられる演説のことらしい。
どうして、わざわざ、むずかしそうな(むずかしい、ではない)ワードを使いたがるのか。
たぶん、むずかしいことは、カッコイイことだと思い込んでいるにちがいない。
日本人は、簡単にできることをわざわざ難しい方法で解決して、スゴイことだ、と喜んでいる。
修行僧じゃないんだから、楽な方法ですればいいのに。
だから、般若心経は理解が難しいので、スゴイ、と思い込んでいるのではないか?
いままでいくつかの「般若心経解説本」を読んだが、さっぱり理解できなかった。
これは、ぼくのアタマが悪いのか、著者が理解せぬまま書いているのか、どちらかなのだろうが、たぶん、どちらもなんだろう。
つまり、書いた人も読む人もわかっちゃいない、と。