相応の理 種をまく人

福音書に出てくる例え話や奇跡の話は、相応のイメージの宝庫である。
ここに一例を示す。

マタイによる福音書第13章にある種まきのたとえ。
この話では、イエス自身が相応のイメージの解説をしている。

・穀物の種 = 神の教え
・成長   = 信仰
・結実   = 信仰の結果

これらがこの場面で出てくる相応のイメージだが、似たような表現が、原始仏典スッパニパータ(雑阿含経)にもある。
岩波文庫「ブッダの言葉」第1、蛇の章 四、田を耕すバーラドバージャ 24ページ

「わたしにとって信仰が種である」
「真実を守ることを草刈りとしている」
「この耕作はこのようになされ、甘露の結実をもたらす」

ここではこの一例のみを示すが、イエスの言葉と、釈迦の言葉において、例え話に出てくるイメージの共通項は多い。
すなわち、相応の理は人類共通の言語であり、顕界と冥界をつなぐ渡し舟のようなものである。

この読解法に熟達すれば、さまざまな神話や聖典の寓話がよく理解できるようになるだろう。