金融営業マンとカルト宗教

世界はマネーで支配されているがゆえに、さまざまな方法でこれを集める工夫が横行している。

金融営業マン、例えば証券会社の担当者なんかは、まったくの貧乏人を相手にしないが、すこし金を持っていると思うと、いろいろな金融商品を売りつけようとしてくる。
いわく「儲かりますから」ということだろうが、そんなこと、当人にもわかっていないし、よくいわれることだが、わかっていれば、自分で投資している。

こういう会社の新人は、配属そうそう、いきなり外回りをやらされる。いつも思うのだが、この人たちは、発想がほぼ同じである。
金持ちそうな家を狙って回るのである。そして、当然、門前払いである。
当たり前である。そんな家は、すでに誰かが回っているし、すでに担当者が決まっているに違いないではないか。
どうして、貧乏そうな家を回らないのだろう。ことわっておくが、「貧乏な家」ではない。「貧乏そうな家」である。

ぼくの知っている限り、投資だけで財を成した人をひとりも知らない。たぶん、いないのだと思う。
数十年前には、一夜にして億万長者になった人もいたが、いまは規制が厳しいのでそんなことはありえない。しかもその人はのちに破産した。

かくいうぼくも、金持ちになりたいと思い、すこし研究したことがあった。そして、証券会社に口座を持った。
ぼくは「金持ちのフリ」をした。
しばらくは、あれを買え、これがいい、と担当者が電話してきたが、そのうち、
「ハハン、こいつはカネ持ってねえな」と、わかるらしく、何も言わなくなった。

それはともかく、なんとなく、カルト教団の勧誘に似ているような気がする。しつこく入信しろと言ってくる。ただ違うところは、金持ってないとわかってもやってくることで、こっちのほうがかなりやっかいである。
入信させて労働力として使おうということと、借金をさせて金を出させるということで、かなり悪質である。
しかも、自分も入信していて、借金していたりする。

では、そういう営業マンは顧客に損ばかりさせているのかというと、そうでもないらしい。ちゃんと儲けている人もいることはいるようだ。
それは、もともとの大金持ち、である。

ちょっと、そういう人の一部を知ることがあったのだが、投資でも儲けていたようだ。ただし、本業があって、趣味程度にやっていたようすだったが。
本人たちも「シュミみたいなモンや」と言っていた。

つまり、われら貧乏人(失礼)とちがい、あり余っている資金の一部をまわしている、ということなのだろう。さらに必ずといっていいほど、土地もかなり持っていた。そして、暴落があってもずっと続けていた。
ふところが深いからこそ、可能なのであろう。一般人は暴落があるとすぐにやめる。

どうしてそういうことができるのかというと、(たぶん)彼らには、金持ちだけの投資情報がやってくるらしいのである。
これは一般人、特にわれら貧乏人(失礼)には、絶対に、ゼッタイに、やってこないようになっているのである。
なんだか、ネットでさがせば、いつか見つかるような気がするが、見つける可能性は0%である。

くりかえすが、有力な情報は、絶対に、ない。

だから、われらはずっと貧乏人なのである。
この選ばれた(?)資産家たちは、はじめから特別扱いされていて、その人たちにだけに、儲かる話がやってくるようになっているからである。

実は、そういう資料を目にしたことがあった。なにやら〇〇〇投資会、とか○○○研究会みたいなのがあって、そこが提供してくれるデータがある。
(中略)
そのときは、「あぁ、こんなモンがあるんや」ぐらいに考えていたので、あとでびっくりした。

つまり、本当に儲かる話は、秘密にされていて、一部の選ばれたものにしか、わからないようになっているのである。

これは、もしかしたら、宗教も同じではないだろうか。
しつこく勧誘してくる宗教はニセモノで、本当の、真実で正しい宗教は、選ばれた人にしかわからない秘密なのではないだろうか。

そしてそこには、うそではない、真実の教えが隠されているのかもしれない。

高野山には、「裏高野」といって、認められた修行者のみが修行するところがあると、うわさで聞いたことがある。あくまでもうわさである。
その修行する資格を有した人は、知らずにそこに導かれて修行するという。

裏高野がうそか本当か知らない。
だが、真の宗教は、選ばれた資質のある者だけに見いだされ、そこに入ることが許される―――そういうものなのかもしれない。では、そのホンモノの宗教はどこに隠されているのか。

それはなぞである。