輪廻転生を信じたくないが
キリスト教、イスラム教では、死者は葬式のあと、墓に埋葬されて、そのまま眠っている。そして、最後の審判のときに、天国へ行くか、地獄へ行くか、裁定を受けて、どちらかへゆく、ということらしい。宗派によってちがいはあるかもしれないが、基本的にはそのはず。
どちらの宗教の人も、最後の審判を信じる人は少数派だと聞いたことがある。
TVドラマシリーズの「ターミネーター」で、少女のターミネーターが、「最後の審判を信じる?」と言っていた場面をおぼえている。それほど、意見がわかれているのだろう。しかし、なんでロボットが??
とにかく、どちらも、生まれ変わりの発想はない。死んだら、行ったっきりである。
近年、眠れる予言者などといって有名になった、エドガー・ケーシーという人物がいる。
いわゆるトランス状態になったときに、つぎつぎと超能力を発揮して他人の病気を治した、ということで知られており、1998年に日本が沈没するという予言をはずした人物でもある。
彼は、そのトランス状態のときに、人間の生まれ変わり、つまり輪廻転生についていくつもの事例を挙げ、正気に戻ったケーシー本人を驚かしたという。彼は敬虔なクリスチャンだったのだ。
ギリシャの哲学者、プラトンが書いたソクラテスの問答の「国家」という大作の最終章、13章に(614A)「エルの物語」がある。(岩波書店 藤沢令雄訳)
戦士エルは、戦死したのち、12日目によみがえった。そして、あの世での見聞をくわしく語ったのである。まさに、冥界旅行者であったわけだ。
このサイトの「冥界の書」hades.jp の名称は、この「エルの物語」(619A)から拝借した。
「かくて人は、金剛のごとく堅固にこの考えをいだいてハデスの国(冥界)へ赴かなければならぬ」
という文言から。
エルによると、人間は、生まれ変わる。人間だけではなく、動物に生まれ変わることもある、という。
仏教では、当然、輪廻転生はおもな教義で、ぼくらはこどものころ、ジャータカ物語というのを読んで(読まされて)お釈迦さまの多くの前世について教えられた。
でも、そのころは、全然真剣に考えていなかった。あまりに幼かったので、お釈迦さまがだれかもいまひとつ、よくわからなかった。
しかし、大人になって、けっこうなおじいちゃんになったいま、正直いって、もう生まれ変わるのは、まっぴらごめんである。
いま、死んで、またどこかでおぎゃあと生まれて、再び赤ちゃんからやりなおすかと思うと、ゾッとする。
マラソンを走りぬいて、ようやくゴールに到達して、やれやれ終わったと思っていたら、また走れと言われたら、イヤになってしまって当然だろう。
しかも、幸福な人生なのか、不幸な人生なのか、まったく不明なのである。どちらにしても苦労することはまちがいない。
楽な人生など、見たことがないからだ。
でも、現在、ぼくは生まれ変わりを信じざるを得ない、と思っている。
長女が生まれて、間もないころ、ハイハイしていたか、していなかったか、そのころのことだった。
ある日、妻が「この子がしゃべった」と言うのである。
「そんなバカなことがあるかいな。なんか、聞きまちがえたか、そらみみやろ」と、とりあわなかった。
しばらくして、「ちょっと来て、しゃべってる」というので、駆けつけてみると、
「おかーさん」と、ハッキリ言ったのである。
正直言って、ぼくは文字通り、ゾッとした。妻とお互いに顔を見合わせたことをいまでもおぼえている。
またある時、ぼくは近所の屋台で酒でも飲みたいと言って出かけようとした。長く飲み友達と会っていなかったのだ。
妻を不満を言っていたが、無視して出かけようとしたときだ。
「ダメ――!」
と、大きな声で赤ちゃんが叫んだのだ。
ぞっとしたどころの話ではない。ぼくは、全身の血の気が引いていくのが自分で分かった。
あまりにおそろしくて、赤ん坊の顔を見てみたが、無邪気な顔をしていた。
しばらくは、この子がこわくて仕方なかった。
妻と話してみたのだが、おそらく、というか、まちがいなく、この子は日本人の生まれ変わりにちがいない、という結論に至った。
さらに、奇妙なことがほかにもあったのだが、長くなるのでやめておく。
とにかく、その日から今まで、外の店で酒を飲んだことはない。
ぼくの姉は若くして亡くなった。若いといっても、まだ老人になる前に、という意味だが。
彼女の死期が近いことを知って、ぼくはしょちゅう、病院へ見舞いに行っていた。
初めて、不治の病で、彼女の命がもう長くないことを聞いたとき、帰りに病院の廊下を歩いていて、ほんとうに、雲の上を歩いているように、ふわふわになっていたことを、いまも思い出す。
あるとき、彼女はぼくにこんなことを言った。
「アンタ、わたし、ヘンな夢、見たんや」
くわしく聞くと、なんだかなつかしい場所にいて、多くの人が合唱している。確かに、聞き覚えのある歌で、感激したけれど、なぜかいまは思い出せなくて歌えない。くやしい。
そして、その歌も、その人たちも、言葉に表せないぐらい、胸がキュッとなるくらい、とてもなつかしい。ほんとうの故郷のような気がする。でも、ハッキリとしていた。なにか、とてもむかしの朝鮮の人たちのような気がする。歌の言葉がハングルみたいな感じやった。
と。
ぼくの先祖は父方も母方もはるか昔から日本人である。父方は、江戸時代よりも前から、九州の百姓だし、母方は、戦国武将の末裔である。朝鮮人はひとりもいない。
もしかしたら、と思う。遺伝子のように、はるか昔の記憶が人間には伝達されていて、それが死のまぎわになって甦ったのではないだろうか。
そして、さらに、日本人はそもそも、朝鮮半島からわたってきたの民族なのではあるまいか。
いや、すなおに、彼女の前世は朝鮮人だったのかもしれない。
それ以来、ぼくは朝鮮の人々を兄弟のように思うようになった。
それからすぐ、数日後に、姉から来てくれるように携帯に電話があった。
行ってみると、
「なんか、へんなかんじがする」という。たずねると、
「なんか、この世界が、ほんまやないような気がする」
「へぇ、どういうこと?」
そして、ぼくの手をギュッときつく握って、
「アンタ、いるよなぁ。ここに、いるよなぁ」
と何度も確認する。
この言葉は、いまもはっきりと耳に残っている。
そして困ったようなようすで、
「なんか、この世界が存在しないような気がするねん」
とつぶやいていた。
ぼくは、姉の魂が抜けかかっているような気がした。
その日の夜、いや次の日の夜だったか、彼女は亡くなった。
そのとき、この世界に、このぼくらがいる、この世界から姉がいなくなったことが信じられなくて、茫然としてしまった。
この地球上のどこかに、どこでもいいから、生きていてくれたら、気が楽なのになぁ、と真剣にそう思った。
ただ、ぼくは死後の世界を確信をもって信じているので、姉はきっとあの世で元気にしているのだとわかっている。
そして、いつかこの世に生まれ変わってくるのかもしれない。