不思議体験 こっくりさん
小学3年のころ、こっくりさんがはやった。
この流行は定期的にいまも続いているらしいが、おそらく、当時、中岡俊哉という人が書いた本「狐狗狸さんの秘密」がネタ元だと思う。
本には、ご丁寧にもこっくりさんで使う専用の用紙が付録でついていた。
十円玉を3人で人差し指で軽く押さえて、文字盤の上を動かし、交霊術をおこなう、というもので、当時あまりにも流行したので全国の学校で禁止されたほどだった。
友人のMくんの家で、また友人のNくんとともに、3人でこのこっくりさんをしたことがある。
Mくんはふつうの人だが、Nくんはぼくと同じくらいアホな男で、よくぼくといっしょに廊下に立たされていた。
ふたりともほとんど(というかぼくはまったく)宿題をしていかなかったのである。現在では考えられないかもしれないが、バケツを持たされて立たされていたこともあり、ぼくの姉はとても迷惑だと言っていた。(恥ずかしいので)
父によると、Nくんは大地主の息子だといっていた。ぼくにはそんなこと、どうでもよかったが。
夕方、暗くなりかけに、こっくりさんをして、呼び出した霊にいろいろと質問をしてみた。
Nくんのことについての話は忘れたが、Mくんの前世は有名な刀鍛冶で、名刀を打っていたという。
ところが、刀を作ってやったサムライに斬り殺されたという。Mくんはおどろきながらも、笑っていたので、あまり信じていなかったと思う。
ぼくの場合は、前世は、百姓兼武士(アルバイト足軽)だったようで、〇〇の戦でひざに矢を受けて負傷し、引退(?)して百姓として一生を終えたという。(〇〇の戦の名前は聞いたことがなかったので忘れた)
また、守護霊の名前は吉見正一郎(仮名)といって、昔の先祖でこれもおなじ武士だったという。
この正一郎が、前世の名前か、守護霊の名前か、ちょっと記憶があいまいなのだが、確か、守護霊だった。
その後、父の故郷へ行ったとき知ったのだが、どうやら長男には、〇一郎と名づけるのがちょっとした習慣になっていたようだった。ただ、近所の墓地には「×一郎」という名前はかなり見受けられたが、そんな名前の墓石はなかった。
祖父に尋ねてみたが、わからないという。
中学になってから、またこっくりさんをしている連中が教室にいて、ぼくらはそいつらに(というかその降りてきたキツネの霊に)いろいろと質問をしてみた。
ひととおり、質問が終わると、ぼくはかねてから知りたいことをキツネに聞いてみた。
「地獄というところは、あるのか、ないのか」
こっくりさんをしている3人には興味がなかったようだったが、キツネは答えてくれた。
「ない」
ちょうどその時、同級生のKくんが同席していたのだが、彼はその答えを聞くなり、
「へぇー! 地獄はないんや。何してもどうもないにゃー」
と叫びながら、踊るように外へ出て行った。その珍妙なようすに、みんなが
「なんじゃ、アレ?」
とあきれているとき、ぼくはどうしても納得いかなかった。
小さいころから天国と地獄があると信じていたからだ。
ぼくは3人に、重ねて同じ質問をしてくれるように頼んだ。が、もう面倒なのか、なかなかとりあってくれない。
しかたなく、ぼくはそのキツネに直接、質問してみた。
もう、だれも見ていなかったが。
すると答えは「ある」だった。
え? どっちだ? 答えはなぞのまま、こっくりさんは終わった。
Kくんは、その後、友人のAくんの近所でよその家に侵入して、みかんの木によじ登って、みかんをもぎとり、むしゃむしゃ食べてしまった。ぼくらの目の前で。
Aくんは、「おーい! 頼む、やめてくれー」と泣きそうになって叫んでいたが、ぼくはこの光景を見て、
「スゴイことするなー!」とびっくりしていた。
さらに数ヵ月か、半年後か、Kくんが賽銭泥棒をした、というよからぬうわさが校内に流れた。
―――まさか・・・
その後、さらに、彼のもっと悪いうわさを耳にして、ぼくは彼がこっくりさんの答えを聞いたあと、
「へぇー! 地獄はないんや。何してもどうもないにゃー」と言って、踊りながら去っていった姿を思い出した。
もし、あと一言がなかったならば、彼は別の人生を歩んでいたかもしれない。
それは当人以外、だれにもわからない。
ある時、ある場所で、ある決定的な言葉を、ある人が聞いた時、その人の人生が大きく変わるときがあるのだろう。
おそろしいことである。