続・人は何のために生きるのか

前回は、先に結論を示してみた。
人は、「生きるために生きる」という結論を。

では、それを最初に戻って、地上の生き物のひとつ、ホモサピエンスとしての、人類の生きる目的を考えてみたい。

人類である以前に、つまり、地上の生物としては、いったい何のために生きるのか。

深夜ラジオを聞いていて、大学で畜産を学び、動物園で勤務の末、園長になった方のインタビューを聞く機会があった。
その方は、動物たちが何のために生きるのかを端的に教えてくれた。

―――動物、いや地上の生物は、「いのちをつなぐ」ために、生きている。
と。

人類は、宇宙でもまれな、精神的、霊的存在だと、ぼくは信じているのだが、その前に、地上では大地に根ざした、自然界の生物なのである。

だから、自然界の法則にのっとって生活するのが自然であるし、そうあるべきなのだろう。

チンパンジーが海底で暮らしたり、クジラが木に登ったりすることは決して自然ではない。当然の、あたりまえの、あるべき姿で生活するのが自然であるし、そうしないと生きてはゆけない。

生物としてのヒトも、まちがいなく、「いのちをつなぐ」ことを目的として生きている。

ただ、ひとつだけ違うことは、人は他の生物にはない、特別な目的があるのだが、それはここでは置いておく。

あくまでも、地上の生物としての「生きる目的」をみてみる。

地上の生物を観察していると、その生きる大きな目的は、子孫を残すこと、増やすこと、それが最大の目的であろうことは、よくわかる。いや、それ以外にはないのだろう。

そのために、子孫(卵や種を含む)を残すために、あらゆる努力がみられる。
子孫を残したら、即座に死んでしまう、サケのような生物も多数見られる。
植物でも、老化し、枯死する直前には多量のタネを作って、それを散布する現象もみられる。
生物がその子供を守るための命がけの行動はよく報道されている。

人間はそれを「美しい行為だ」などと言っているが、生物にとってはそれは当然のことなのだ。

批判するわけではないが、結婚せず、子孫を残さず、お金を稼いで、自由に優雅に贅沢に生活してゆきたい、などという考えを持つのは人類以外にはないだろう。
ただし、現代日本では、結婚することのほうが、お金を稼ぐよりも、かなりむずかしくなっているが、それはおかしいのである。

カモメのジョナサン、なんて小説があったが、あくまでもおとぎ話であって、そんな鳥がいるはずない。
カモメは、エサを取って、食って、たまごを産んで、育て、死んでしまうのが、あるべき姿なのである。

おそらく、地球上の生き物は、それが、そう生きることが幸福なのだと思う。

いらぬ娯楽に毒されている、現代人が忘れ去ってしまったのだろう。

親に愛され、やさしくきびしく育てられ、結婚し、子供をもうけ、育て、年を取れば死んでゆく。
それが、生物としての人類の幸福であろう。

ところが、人類が勝手に作り上げた人工社会は、それをゆがめ、わからなくし、金銭中心の社会に変化させてしまったため、人間としての幸福がわからなくなってしまったのではないだろうか。

批判をおそれずにいうと、男は男らしく、仕事をして、家庭を支えるべきなのであり、女性は女性として、家庭を守り、子を産み、育てることが、幸福なのである。それが、当然なのである。

なぜ、女性が働く社会になったかというと、資本家たちが、安くて使いやすい労働力を求めたからである。それを隠すために、女性に人権を、などという運動をマスコミを使って起こさせたのだ。

また、いろいろ便利な機械が発明されて、家庭の仕事が減り、男性の仕事を女性ができるようになったから、金持ちたちがそれを利用したことも理由の一つである。
すべて、自分たちの金儲けのためである。

では、それまではどうだったのかというと、幼い子供に仕事をさせていたのであって、それが法律で、できなくなってきたので、女性に仕事をさせるように社会を作り変えたのだ。

それはさておき、そういう社会に作り変えられて、生活はいわゆる文化的、先進的になった半面、幸福度は極端に落ちてしまった。

確かに、以前はひどい男どもがいて、ふたことめには、「誰のおかげで、おまんま食わせてもらってるねん!」と奥さんに怒鳴る男がいた。
しかし、あくまでも例外であって、やはり、夫は、妻のいうことに従っていた、というか、家庭は女性に支配されていた。
ついてながら、少なくとも日本では、家庭はいまも女性に支配され、男は小さくなっている。

それは、悲しい現実なのだ。

それは世の男性自身がいちばん知っているはずである。家庭ではしいたげられ、職場では「セクハラ」などと言われてオドオドしている。
それが一般男性の実態である。

ただし、一部大企業、金融業、不動産業、などの「大金」を扱う企業や役所関係(特に警察など)では、なぜか女性はモノ扱いされているようだ。
なぜかはわからないが、不倫も多い気がする。たぶん、地位とカネがものをいう世界なのだろう。それでも、家庭ではやはり女性に支配されている。そのうっぷん晴らしなのかもしれない。

宗教などにみられる「戒め」とか、社会的に常識的に「悪」とされているのも、要するに、その「命をつなぐ」ことに反することが、悪と定められている。

例えば、人を殺すこと。人類が減ることは、人類の繁栄にとって望ましいことではない。

盗むことも、原初に盗むものは食べ物だから、食べ物がないと生きてゆけない。

不倫だって、家庭不和の原因になるし、子孫繁栄にはつながらない。
親孝行だって、兄弟愛だって、みんなそうだ。
ウソをつかない、というのがもっとも遠い気がするが、デタラメばかりいう人といっしょに生活できるわけがないし、家庭生活は崩壊するだろう。
結婚の約束すら、守れなければどうするのだろう。

よく「どうして人を殺してはいけないのですか」という質問に答えるのに窮している大人がいるので、その答えを示したつもりである。
人を殺すと、人類が減るからである。人類繁栄につながらないからである。

人類が増えすぎているから、殺していい、ということにはならない。増えすぎたからといって同類を殺す生物はいない。
人類が増えすぎたら、また、自然によい加減に自然に減るはずであるから。そもそも、人類はそんなことで人口を減らそうとするほど、知恵がないのであろうか。馬鹿なのだろうか。
そうは思えない。

世界中に「オレは天才だ。IQなんとかだ。かしこいんだぞ」という人がごまんといるのに、人口が増えたから殺す、なんて発想の人間しかいないのだろうか。

それこそ、神にまかせる。自然にまかせる。
それが、自然の法則であるし、地球上の生き物が「命をつなぐために必要なこと」と思う。