仏教が神を否定した理由とは

神、というのは、漠然としていて、なにか、雲の上に乗っていて、白いヒゲを長く伸ばしていて、白い着物を着ていて、へんてこに曲がったつえをついている。頭の上に丸い輪っかを浮かべている。よさげな、おじいさん。
みたいな感じだろうか。YouTubeのフリー素材のイラストで見る、アレである。
たぶん、十戒という映画にでてくるチャールトン・ヘストンを想像しているのだと思われる。

現代人が神仏を信じることは容易ではない。幼いころから科学教育を受けていて、物質的文化に満ち溢れているからだ。
そもそも、神社やお寺の跡取り息子さんだって、すべて信じているか疑わしい。

以前、家族がそういった関係の仕事をしている家の奥さんに、

「そんなこと信じてる人なんか、いまどきいませんよ」

と口をすべらしたら、ひどく叱られた。
すぐに謝ったので事なきを得た。

そうなんです。神主とか住職の方々は、あまり信じていないんじゃないかとぼくは感じているのだが、信者さんたちの中には、しっかり信じている方がおられる。
特に、若い跡取りの息子さんは、小さなころからお寺に育っていて、周りからそのように扱われていて、どうなんでしょうか。わかりません。
思うに、若いころはあまり信じていないんじゃないかと。ぼくもそうでしたから。

そして、ある程度、社会生活を経験すると、お寺の息子が大事にされることにも気づいて、戻ってくる場合が多いように思う。
ただし、年齢を経ると、いろんな体験が増えて考え方が変わってくるものだろう。

いちばんいいのは、お寺が娘さんばかりで、養子に来てもらうことでしょう。そういう寺社はうまくいっているようだ。
とにかく、お寺(宗派にもよりますが)は、大変です。プライベートなんかまったくありませんから。
とても会社員の娘ではお嫁にこれないのではないだろうか。

かんじんの跡取りからしてそれなんですから、一般の人のほとんどが神仏を信じていないでしょう。お願い事するときだけ、可能性を求めて、祈っているだけだと思う。たとえば、大病を患ったとか、出世を願うとか。

また叱られるといけないので、まえもって謝っておきます。すみません。

物理的な現象や、人工的なものばかりを学習するわけなので、目に見えず、手に取れず、認識不可能な神仏を信じるなど、現代人には無理がありすぎる。

しかも、もし、神仏がいるのなら、なぜ、こんなに不条理な世界が放置されていて、懸命に祈っても、世界から戦争がなくならないのか。毎日のニュースをみてみても、神や仏が手を貸してくれているとは到底、思えない。

信仰を捨ててしまう人の多くは、いくら祈っても、いくら善行を積んでも、どれほど耐え忍んでも、いっこうに事態は良くならず、むしろ、悪人(と勝手に思われている人)は、その自由と富を謳歌している。巧妙な犯罪者は厚顔無恥である。
そうして、絶望して、その信仰を捨ててしまう。特に、熱狂的な新興宗教の信者に多いのではないだろうか。

で、それらの団体の指導者たちはこういったとき、必ず、こう言うのである。

――― 信仰が足りない。

まことに、便利な言葉である。このひとことで、なんでもいいわけできる。

団体をまとめるためには、共通の敵を作って意識を向ける手法が取られることがある。自分らの不正がばれそうになると、注意をそらし、ガス抜きをするためである。

そういうときに、他の宗教団体を標的にするのだと思う。あくまでも私見だが。
まるで小さな国の独裁者である。

そして、信者たちの願いをかなえるために、もっとも簡単なのは、お金をたくさん集めて、それで願いをかなえてやることだろう。

最近よく見かけるスピリチュアルな人たちは、あからさまに「~~すると大金がやってくる」と言い張っている。

実は、ぼくも「宇宙銀行からお金を引き出せる」というのをYouTubeで知って、やってみた。
お金が欲しかったのである。
・・・でも、ダメだった。恥ずかしながら。領収書まで作ったのに。

もしかしたら、信仰が足りなかったのかもしれない。


お釈迦さまの時代にはバラモン教という、神々と人間をつなぐ儀式を行う宗教が主流だったそうで、いわゆる、現世利益が求められていた。そして、願いをかなえることが信仰になっていたのだろう。

そういう、現代社会と同じような状況で、お釈迦さまは「信仰を捨てよ」と言ったのだと思う。

自分の願いをかなえるための我欲はすてて、真理をよりどころにせよ、と言ったのだと思う。

真理とは、いったい何かということは、ここでは置いておいて、ただ、真理はお金を儲けてくれたり、敵に復讐してくれたりはしない。どこかの宗派の団体だけをえこひいきすることもない。

どんな場合でも、当てはまらないと、真理とは言えないだろうから。

それで、初期仏教では、特定の神を信仰せず、真理(仏法)を信仰することになったのにちがいないと思う。