相応の理について(導入)
日本が敗戦した後、GHQという組織が日本と直接統治していた期間があったが、ぼくの知り合いで、そこで通訳をしていた人がいた。
当時、何ヵ国語もしゃべれたというから、めったにいなかったし、英語は敵国語で禁止されていたので、突然必要とされ、高給で雇われたようだ。
しかも、いろいろと役得というか、特別扱いされたようで、うまく商売の許可をもらって、仕事をしていたらしい。
戦後の物資不足の時代に、倉庫の中には、高級ワインやら、砂糖など貴重な食材が山のように積まれて、隠されていたという。
通訳といえども、なにやら映画のスパイ活動のようなことをしていた人もいたらしく、GHQからCIAという組織に活動が移ってからも、一部では活動があったとか、なかったとか。
話題は変わるが、昭和60年代というから、いま(令和7年)から約40年前に、丹波哲郎氏によって「霊界」が、ちょっとしたブームとなった。のちに映画が何本か作られて、ヒットしていたし、テレビに出ては、「きょうは、霊界についてどんな話をしようか」などと、いつも言っておられた。
その有名俳優、丹波氏の霊界ばなしの元ネタとなっていたのが、エマニュエル・スウェデンボルグが16世紀に書いた神秘書を抄訳した「霊界からの手記」という本だった。リュウブックスというところから出版されていた。この本には続編が2つあって、「続・霊界からの手記」と「霊界からの遺言」である。
この丹波氏の霊界についての話、というかスウェデンボルグの霊界の話は、統一教会という、最近えらい事件に関係して話題になった新興宗教の教義と酷似している。ほぼ、まったく同じといっていいだろう。
だからといって、丹波氏とCIAと統一協会がつながっているとは言えないが、なんだかアヤシイと思っている。
丹波氏がマスコミ・映画によって、われわれ一般大衆にひろめた「霊界」のイメージはそれまでの「極楽浄土と地獄」のイメージを完全にすり替えるほどに強烈だったといえる。もちろん、ぼくもその本3冊を購入し、よく読んでいた。
先に「霊界からの遺言」というのを手に入れたので、それを先に読んだ。
これが、のちのち、ぼくの精神に多大な影響を与えることになった。
―――相応の理
この本には「創世記」の解釈から始まって、霊界の歴史が解説されているのだが、その中での中心的な考え方をそこでは、相応の理、と呼んでいる。
この原理を知ってから、ぼくは自分の夢解釈もかなりできるようになったし、神話をかなり読み解くことができるようになった。
なにより、新約聖書のマタイの福音書・マルコの福音書なんかの解釈が自分で独自にできるようになった。