来世の幸福に希望を託す―金持ちの家に転生するには

来世の幸福に希望を託す―金持ちの家に転生するには

現代社会の構造、不正、ゴマカシについて、やたらにこのサイトで取り上げるのは、決して八つ当たりしているわけではない。
この社会において、世界中で、無茶苦茶な政治が行われ、多くの罪のない人々が苦しんでいるのは、みなさんご承知のとおりである。
どうすれば、無力な市民が、無力な正直な人々がつらさに耐えて生きていけるのか。

死んだ後の世界、来世に希望と託す以外に、ぼくには思い付かない。
死後の世界があるのかないのかはまた別の機会にして、ここでは「ある」ことにして、「ある」ことを信じている人々を前提として話したい。

幸福に生きていけそうにない、この人間社会において、絶望的な人々は、この世における幸福をあきらめて、死後の世界に幸福を求める――当然と言えば当然の帰結であろう。

お釈迦様はどうやら死後の世界についてはよく語らなかったらしいが、のちのさまざまな仏教宗派では極楽浄土に生まれることが中心教義となっている。キリスト教もイスラム教も死後の幸福を求めていることには変わりがない。

ずっとまえの話だが、父の故郷で、まだ存命だった祖父とみかん山へ行ったことがある。何をしに行ったのかは覚えていない。
クルマで行って、帰りに大きなお寺があったので、何かと祖父に聞くとある新興宗教だという。興味を持ったぼくはそこに立ち寄ってみた。

新興宗教とは思えないほど、古風な、伝統ある寺社仏閣といったおもむきだった。とにかく、京都にあるような立派な本堂やら、塔が建っているのだ。ふつうの、何百年もむかしからある由緒正しい寺院といってもわからないだろう。

その大きな本堂には多くの信者さんたちが集まっていて、法話を聞いているようだった。
祖父はそこにふらりと入っていった。ぼくも続いて入ったのだが、いまひとつ、何を言っているのかはわからなかった。すぐにそこを出ると、祖父はなんだか不機嫌になって、説明してくれた。

ここはインチキ宗教だというのだ。地元の人たちはみんな知っているので加入している人はいないのだが、よその街の人たちがいっぱい信者になっているのだという。
そして、その単純な教義を教えてくれた。

「この宗派に入って、たくさんお布施をしてくれたら、その金額により、来世では大金持ちの家に生まれ変われる」
というものだという。
そうか、なんだかわけのわからないことを言っていると思ったら、その手続きについて説明していたのだった。

これは・・・スゴイ!

もし、これが本当なら、ぼくだって信者になったかもしれない。
しかし、祖父が言うには、そんなわけない、と。インチキにちがいない、と。まあ、ほとんどの人間はそう思うだろうが、すごく多くの信者がいるという。

ここの豪勢な建物はすべて信者の寄付で建ったのだという。さらに、当時、日本一でかい梵鐘がここにあったのだが、この梵鐘をこの山の上に上げるのに、費用が掛かるというので、信者を何十人、何百人かわからないが、大勢の人間で、綱で引っ張り上げたという。費用が掛かるからというのはなんだかおかしい気がするが、引っ張りあげたのは本当だという。

来世というのは、天国や極楽、地獄だけじゃなくて、人間に生まれ変わった場合も含まれる。生まれ変わった先が養鶏場のブロイラーでは、たまったものじゃない。

地獄の沙汰も金次第というが、この教義はちょっといただけないし、これを信じるのはちょっといけない気がする。ただ、それを信じている人がそれで救われるのなら、それもいいのかもしれない。

しかし、この話には、ちょっと奇妙な追加があって、この宗教の幹部たちが事故死した事件があったという。あるとき、高級車に乗り合わせた幹部たちが、この山、つまり鐘を引っ張り上げた道を走らせてのぼっていると、山の上から大きな岩が落下してきて、この車に命中し、全員即死したという。

この話を聞いたとき、ちょうどその道をくだっていたので、ゾッとした。